2011年09月30日

スマイル木喰仏 「やいづの昔ばなし」第一部

焼津市文化センター2F、歴史民俗資料館常設展示室内で行われている企画展

やいづの昔ばなし第一部に行ってきました。
焼津・大井川地区に伝わる昔話を集めた展示会です。

2部制で行われるこの企画!

内容はこちら、

第1部 動物・怪談・災害・人物のお話
2011年7月15日(金曜日)~10月10日(月曜日・祝日)

第2部 信仰・仏像・鉄道・人物のお話
2011年10月15日(土曜日)~2012年2月5日(日曜日)





絵馬から抜け出した馬のお話から、日本坂トンネルの地名の由来、舟形屋敷のお話などなど
ぞくぞくする怪談話から、ちょっといい話まで、盛りだくさんの充実企画です♪
お話も、人が関わっているお話が多く、歴史好きでない方でも楽しめそうです。

昔話が、人々の信仰となっていく成り立ちのようなものを感じました。

日本昔話の焼津バージョンといった感じで、市原悦子さんが思い浮かぶそんな癒され~face01な企画でもありましたよ。


そんなことを思いながら見ていると、なんと

スマイル木喰仏さんがいらっしゃるじゃないですか~!!!

大日堂の木喰仏様、吉祥天像と不動明王像です。

こちらの2体の木喰仏様は、歴史民俗資料館で管理しているので、
企画展の際しか拝見できないと聞いてがっかりしたことがあったので、私の中では
とても運命的な出会いです。←運命を簡単に使う仏女

吉祥天様は、想像していた通りのおだやか~でニコニコ~でやさしい表情
光泰寺の聖徳太子像にもよく似ているといわれていますが、吉祥天さまはすこし女性らしさがプラスされています♪


(撮影禁止の為、「ふるさと文化財写真集」焼津市教育委員会より引用)

不動明王様は、「木なの?仏様なの?」と思わずつっこみをいれてしまう表現。
火炎の感じが、木目とうまく融合しており、ぐっと前に出た、手の表情も勢いあります。
木の中から、「煩悩はゆるさん!」と戒めている感じ。
しかしながら、さすが、木喰仏。あたたかい不動明王様です。



(撮影禁止の為、「ふるさと文化財写真集」焼津市教育委員会より引用)

静岡はやっぱり、自然の豊かな場所なのだと感じた、美しく木と調和した仏様でしたface06


やいづの昔ばなし企画展の詳細はこちらです。
是非、立ち寄ってみてください。
http://www.city.yaizu.lg.jp/rekimin/kannai/index06.html






  


Posted by niconicori at 14:18Comments(10)展覧会

2011年09月26日

楠木家家宝!奇跡の仏様  満蔵寺 

JR東海道線藤枝駅より、車で15分ほどの場所に

曹洞宗 暁居山 満蔵寺があります。

こちらのお寺さんには、素晴らしい三仏堂があるということを聞き、お参りにうかがいました。

開創 永禄十二年(一五六九)ご本尊は、伝行基作 地蔵菩薩様です。



立派な本堂ですface01



こちらが、三仏堂



三仏堂には文殊菩薩様、普賢菩薩様、勢至菩薩様がお祀りされています。

文殊菩薩 卯年生れの方の守り本尊
普賢菩薩 辰年生れの方の守り本尊
     巳年生れの方の守り本尊
勢至菩薩 午年生れの方の守り本尊


こちらの菩薩様は、なんと楠木家家宝という素晴らしい由来があります。

※楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将であり、ゲリラ戦法などを用いた忍者とも言われている。



由来とはこのようなお話です。

応仁の乱の時代、楠木正成の息子正行が、家宝である仏様が戦火に合うことを恐れて
三尊仏を持ち、焼津に上陸したそうです。
家山に行く途中、満蔵寺の門を叩き、


京都は戦いが続いており、この二菩薩が兵火にかかるを見るに忍びず背負ってきた、
われら一族の生還は期せられない、家宝の二仏を奉納するので、長く祀ってほしい
。」

と念じたそうです。

寺伝によると、この二菩薩は楠正楠、正行父子が奉祀した楠家の三尊仏の二体であったそうです。
そこで住職は由緒ある仏様として別堂を建立し、後に勢至菩薩を合祀して満蔵寺三尊仏とし祀ったとのこと。

この二仏様を、託した、楠木正行の状況や気持ちを考えると、胸がつまる思いがしますface06

戦火をくぐりぬけた、文殊菩薩様と普賢菩薩様のお顔は、やさしい顔のなかに、どこか
厳しい表情を感じます。楠木家の行く末をを案じた表情なのでしょうか?

仏様は、苦しいことがあったとき寄り添ってくださる
こちらの仏様のお姿こそ、まさにそのお姿なのだと感じましたface06

願い事をして、世の中の平安を祈るお地蔵さんとだるまさん。
かわいらしい表情。



ほ、欲しい。
しかしながら、こちらは、願い事を書いて、格子にくくりつけるものであって持ち帰るものではないらしいface24



こちらの掲示板に掲載されている言葉が素敵でしたicon12



仏様は、なろうとするものではなく、そうあるべきものであるということなのだなicon12
仏女なりの解釈。

どう思われますか?


藤枝市稲川1-3-14
満蔵寺ホームページ http://fujiedajuku.jp/manzoji/

















  


Posted by niconicori at 11:50Comments(7)お寺巡り 静岡県中部

2011年09月22日

【滋賀県のつぼ三本柱】近江路・仏女ブロガー旅紀行 

「仏教美術の宝庫・滋賀の旅 近江路・仏女ブロガー旅紀行」

に参加させていただくことになりましたface01


感謝感謝です。

私なぞがよろしいのか?・・・。大変恐縮もしておりますface13






素晴らしい機会を与えていただいたので、

非力ながらも、滋賀県の仏教美術の魅力を沢山皆様にお知らせしたいと思います!


滋賀県というと、今、話題のお江が浮かぶ方も多いでしょう。


滋賀県の歴史の奥深さは、それだけじゃございません


まさに歴史の宝箱~!







滋賀県のおおまかな歴史の概略を調べました。icon12


滋賀県、北は福井県、東は岐阜県、南東は三重県、西は京都府と接しており、
近江は、古くから、交通の要所であり、日本の国政に、関わってきた地域だったのですね。icon12

周りを伊吹、鈴鹿、比良、比叡などの山々に囲まれ、面積の大半を琵琶湖と山地が占めています。

近江に関する、古寺巡礼の著書を沢山残されている随筆家、白州正子さんは、近江を
日本の楽屋裏と表現しましたicon12



大和王権の領土、近江京や紫香楽宮が設置され、壬申の乱の舞台ともなりました。


平安時代中期以降は、佐々木氏が源頼朝に加わり、近江一国の守護職を得ます。
以降、佐々木一族が、戦国時代に至るまで近江国を支配することになります。

戦国時代に入ると、近江国を支配圏に入れた織田信長が、近江盆地に安土城を建設。
信長の死後、羽柴秀吉と、北近江と柴田勝家の争いとなり、賤ヶ岳の戦いにおける秀吉が勝利します。
近江は、秀吉にとっても思い入れのある地域だったようですね。

江戸時代になると、近江八幡などからは近江商人と呼ばれる流通業者が全国各地で活躍するようになりました。

廃藩置県後、内陸県である現在の領域となり滋賀県となりました。



いかん、滋賀県を調べているうちに、すっかり滋賀県ファンになってしまった!


静岡仏女ごころを大切に、滋賀県とも手をつなぐ的な感じにしようかな。

静岡と滋賀県の関係!

そういえば、琵琶湖出現仏の十一面観音様が、浜松の龍潭寺にいらっしゃいます。
滋賀県にも、井伊家ゆかりの龍潭寺があるんですよね!

詳しくは、こちら→http://butsujyo.eshizuoka.jp/c35907.html


なぜそれほど惹かれるのか、


そ・れ・は


つぼ三本柱!

静岡的に言うと、三羽ガラス(←古い?)



①仏像 

②忍者

③近江牛


いろいろな意味で、よだれがでそうな旅になりそうですemoji28


10月初旬に旅に行きますので、紀行文を、ブログにてしたためたいと思いますface01



  


2011年09月08日

野田のお薬師さん ご開帳

国道1号線バイパス野田インターより車ですぐの場所に

天正山 真言宗 泉湧寺派 鵜田寺があります。

 


創建は、758年と伝えられており、島田では最も古いお寺と言われています。

本尊の薬師如来は 野田のお薬師様信仰されています。秘仏として安置されていますが、
寅薬師ご縁日の、8日の寅の日は一般公開されます。

2011年は、9月8日のみです。

 ご開帳へ行ってきました。

鐘楼堂  


こちらが本堂です。右にいらっしゃるのは、修行大師銅像。弘法大師が、日夜諸国をご修行されている姿。
とても凛々しいお顔です。



お薬師様がいらっしゃる本堂です。わくわくどきどきicon12


本堂に上がらせていただき、ご住職が快くお参りさせていただきました。
近くで拝見させていただくことができました!お忙しい中お話も聞かせいただきました。ありがとうございました。face06

本堂正面に、野田のお薬師如来が、左右の坦には日光、月光菩薩様、そして日光、月光菩薩を囲むように十二神将がいらっしゃいます。


薬師如来像は、平安時代後期の檜材一木造りとのことです。
目薬師、延命薬師、厄除薬師ということで現世利益をくださる如来様として人に信仰されています。


近くでじっくり拝見させていただくと

イケメンですね

優雅なお顔立ち。
やさしさに包まれる感じがします。
ゆるやかな肩のラインと言い、薬壷を持つ手から流れる衣がとてもお上品。
そんなやわらかい雰囲気をかもし出していらっしゃるのですが、口元は少し力が入っているような感じがし、力強く表現されています。
安心感という言葉がぴったり。



素敵だなあ~。じろじろface23

日光、月光菩薩様は、ふくよかなお顔で、女性的なイメージです。
観音菩薩様のような慈悲に満ち溢れたお姿です。美しく、バランスのよい仏様です。


十二神将は、補修をされたそうで、鮮やかなお色をしていました。
青いお顔、緑のお顔などの十二神将が、様々にあるポーズを決めています。
いかにも動きだしそうface01

薬師如来様、日光、月光菩薩様、十二神将の仏様達の、配置というかバランスが素晴らしいです。
息をぴったり合わせて、私たちを救ってくださっているように感じます。
また、壁には胎蔵界、金剛界の曼荼羅が!←曼荼羅に過剰反応


お参りの後、「なんだか目がすっきりしたみたい。」私最近疲れ目だったんです。これほんと。

薬師如来パワーに感謝

ご開帳には、遠方からもお参りに来る方がいらっしゃるとのことです。

今回お写真は掲載できなかったのですが、静岡県教育委員会文化財ガイドブックにこちらの薬師如来様が掲載されています。



静岡県島田市野田






























  

Posted by niconicori at 22:19Comments(8)お寺巡り 静岡県中部

2011年09月05日

曼荼羅の中を歩いたよ♪ 空海と密教美術展 

東京国立博物館で9月25日まで開催中の、空海と密教美術展に行ってきました。




空海は、日本にはじめて密教を伝えたと言われています。
唐に渡り、2年という短期間に、奥義を極め日本に戻ります。

密教の教えを絵画や美術などを用いなければ理解できないと言う、恵果(空海の師匠)と空海の
考えにより、素晴らしい密教美術が生まれました。

空海と密教美術を存分に堪能することができました。



の世界に大きな影響与えた空海
「聾コ指帰」(ロウコシイキ)(教えに暗く聞く耳を持たない者にも教えを指し示す)という書が、豪快に展示されており、一瞬にして、カリスマ空海のとりこになりますface23

空海が青年期に書いたそうですが、その書体の豪快さと、風格、豪快には、一点の曇りもない純粋さを感じますface01




空海が唐からもたらした法具も素晴らしいです。
当時一流の技術者たちが生み出したものであるだけでなく、深い信仰心ゆえに輝きが半端ないicon12



クライマックスは、京都、教王護国寺(東寺)仏像曼荼羅
密教の宇宙観を示す曼荼羅を仏像で立体として表しています。

曼荼羅を仏像で表そうとする発想
空海は天才でありエンターティナーですよね。

仏像のまわりを360度見ることができ、曼荼羅の中を歩くことができます。

まずは、ファンである、梵天様目掛けて一直線face23
こうなったら、誰にもとめられないぜ~。
いいのかと思うくらい、近距離で見ることができます。

前も後ろも左側も右側も、また、ちょっと離れた位置からも、じーっじーっじーっと見つめてみました。

このままここで宿泊させてくれないかなあと本気で思う。icon06

ところで、曼荼羅の間の中を歩く。」これってすごいことですよね。

「仏教世界を歩いているんだよ~」って思うとなんか楽しい~。

沢山の人が、曼荼羅の中で、各々の仏像に見とれていたり、関心している姿を見ていると世の中と勝手に照らし合わせて、なんて幸せ空間なのだろうと思いました。

立体曼荼羅の中には、子供の姿もちらほら。子供たちも楽しそうに仏像を見ているなあとほほえましく思いました。icon12

本来信仰の対象である仏像を楽しく思えるということがまた空海マジックなのかもしれません。

そんなことを思いながら、空海は確実に現代にもメッセージを残しているのだなと思いましたface06


収穫1

梵天様フィギアicon12



icon06細かい部分まで愛しの梵天様です。


収穫2

図録
表紙には空、裏表紙には海
デザインもおしゃれです。素敵なお写真と説明が。大満足です。
エコバック付もあり、ミーハーな私は迷わずそちらを購入。






空海と密教美術展
http://kukai2011.jp/



















  


Posted by niconicori at 22:48Comments(12)展覧会