2012年03月07日
お堂で讃美歌♪桑原薬師堂
JR函南町駅から歩いて、20分程の場所に、桑原薬師堂はあります。
こちらの薬師堂の仏様は、4月にオープンするかんなみ仏の里美術館に移動されるという話を聞き、
お堂で拝観できる最後のチャンスだと思い、急に思い立って出かけました。

函南町駅を出てしばらく歩くと、山道にさしかかります。
登り道は、坂がきつく、しんどいですが、のどかな風景に癒されます。

静岡のお寺めぐりの醍醐味でしょうか。山をのぼりきった場所に、富士山が見えました♪

歩いて20分くらいで、だんだんとパワースポットな雰囲気が漂いはじめました。

桑原薬師堂



庫裡をたずねてみると、お堂の拝観は、すでに1月いっぱいで終了してしまったそうで、
2月は函南町の管理になっているため、お堂を開けることができないのだそう。
がが~ん!
絶対拝観できると思い込んできたのに。
しかし!
今日は、お堂の検査があるので、少し待っていただければ
確認ができれば、入れるかもしれないということを教えていただきました。
本当にありがたいチャンスに、胸躍らせてしばらく待ちました。

待っている際に、男性と女性のおふたり組が私と同じように拝観に見えたので、
お二人と意気投合し、仏像やお城などの話に花を咲かせてわくわくしながら待ちました。
少しして、お寺の奥様が、穏やかなやさしい笑顔で
「あなたたち本当にラッキーね」と言いながら、お堂を案内してくださいました♪
手にはポットや、ストーブやたくさんの荷物を持たれていました。
それは、お堂が寒いから暖かくしてくれるために奥様が用意してくださったものでした
静寂に包まれたお堂の扉を開けてもらうと、なんだかとっても神聖な空気があふれ出してくる気がしました。

阿弥陀三尊像は、胎内銘より、慶派の「実慶」作とわかったそうです。
桧一木造で、目には水晶がはめ込まれ、表面は漆を塗り、金箔を押し当てる、漆箔です。
台座は、鎌倉時代のもので、細部まで力強く彫られており、高く評価されているのだそうです。

きりっとした端正なお顔立ち。芸術的であり、力強さに圧倒されます。
イギリスの大英博物館にも展示されたことがあるそうで、大好評だったそうです。納得です。

以前は秘仏とされていた、ご本尊の薬師如来様の扉も開けてくださいました。
扉を、開けた瞬間、鳥肌がたつ感触。言葉に説明できない何かを感じずにはいられない気分になりました。
(私、霊感はないのですが。)

ご本尊様、薬師如来様です。
平安時代のカヤ材一木造りです。
薬師如来様の前には、月光、日光菩薩様と囲むように十二神将がいらっしゃいます。

なんて神々しいんだろう。体全体から、光を発しているように感じます。
ずっとこのお堂でお薬師さんのそばにいたいなあ~と感じました。お堂に、宿泊したいくらい!
十二神将も、かなりのイケメンです。江戸時代の修復の際、彩色を施されましたが、現在、順番に修復の際、元の姿に戻しているそうです。
こちらは修復された十二神将です。力強くたくましいです。



お寺の奥様が、讃美歌のオルガン演奏をしてくださいました。
ただならぬ、薬師如来様、仏様の前で讃美歌。
美しい音色がお堂いっぱいに響きわたりました。
手作りのあたたかい薬草茶をいただきながら、このシチュエーション、うるっとしちゃいました。
(だって仏女だもん....涙がでちゃう。)
出会いは奇跡だということ。今ある一刻一刻が生きるということだということ。いろいろなお話も、聞かせてくださいました。
桑原薬師堂の仏様は、4月からかんなみ仏の里美術館で拝見することができます。
いままでは、町内会の方が大切に大切に守ってこられました。
桑原薬師堂で拝見することができないことが、少しさみしく思いましたが、
お堂から近い場所に、かんなみ仏の里美術館の新しい建物見えた時にはなんだかほっとしました。

素敵な出会いに感謝です。

かんなみ仏の里美術館は、2012年4月14日(土)オープンです♪ http://www.kannami-museum.jp/
こちらの薬師堂の仏様は、4月にオープンするかんなみ仏の里美術館に移動されるという話を聞き、
お堂で拝観できる最後のチャンスだと思い、急に思い立って出かけました。

函南町駅を出てしばらく歩くと、山道にさしかかります。
登り道は、坂がきつく、しんどいですが、のどかな風景に癒されます。

静岡のお寺めぐりの醍醐味でしょうか。山をのぼりきった場所に、富士山が見えました♪

歩いて20分くらいで、だんだんとパワースポットな雰囲気が漂いはじめました。

桑原薬師堂



庫裡をたずねてみると、お堂の拝観は、すでに1月いっぱいで終了してしまったそうで、
2月は函南町の管理になっているため、お堂を開けることができないのだそう。
がが~ん!
絶対拝観できると思い込んできたのに。
しかし!
今日は、お堂の検査があるので、少し待っていただければ
確認ができれば、入れるかもしれないということを教えていただきました。
本当にありがたいチャンスに、胸躍らせてしばらく待ちました。

待っている際に、男性と女性のおふたり組が私と同じように拝観に見えたので、
お二人と意気投合し、仏像やお城などの話に花を咲かせてわくわくしながら待ちました。
少しして、お寺の奥様が、穏やかなやさしい笑顔で
「あなたたち本当にラッキーね」と言いながら、お堂を案内してくださいました♪
手にはポットや、ストーブやたくさんの荷物を持たれていました。
それは、お堂が寒いから暖かくしてくれるために奥様が用意してくださったものでした

静寂に包まれたお堂の扉を開けてもらうと、なんだかとっても神聖な空気があふれ出してくる気がしました。

阿弥陀三尊像は、胎内銘より、慶派の「実慶」作とわかったそうです。
桧一木造で、目には水晶がはめ込まれ、表面は漆を塗り、金箔を押し当てる、漆箔です。
台座は、鎌倉時代のもので、細部まで力強く彫られており、高く評価されているのだそうです。

きりっとした端正なお顔立ち。芸術的であり、力強さに圧倒されます。
イギリスの大英博物館にも展示されたことがあるそうで、大好評だったそうです。納得です。


以前は秘仏とされていた、ご本尊の薬師如来様の扉も開けてくださいました。
扉を、開けた瞬間、鳥肌がたつ感触。言葉に説明できない何かを感じずにはいられない気分になりました。
(私、霊感はないのですが。)

ご本尊様、薬師如来様です。
平安時代のカヤ材一木造りです。
薬師如来様の前には、月光、日光菩薩様と囲むように十二神将がいらっしゃいます。

なんて神々しいんだろう。体全体から、光を発しているように感じます。
ずっとこのお堂でお薬師さんのそばにいたいなあ~と感じました。お堂に、宿泊したいくらい!
十二神将も、かなりのイケメンです。江戸時代の修復の際、彩色を施されましたが、現在、順番に修復の際、元の姿に戻しているそうです。
こちらは修復された十二神将です。力強くたくましいです。



お寺の奥様が、讃美歌のオルガン演奏をしてくださいました。
ただならぬ、薬師如来様、仏様の前で讃美歌。
美しい音色がお堂いっぱいに響きわたりました。
手作りのあたたかい薬草茶をいただきながら、このシチュエーション、うるっとしちゃいました。
(だって仏女だもん....涙がでちゃう。)
出会いは奇跡だということ。今ある一刻一刻が生きるということだということ。いろいろなお話も、聞かせてくださいました。
桑原薬師堂の仏様は、4月からかんなみ仏の里美術館で拝見することができます。
いままでは、町内会の方が大切に大切に守ってこられました。
桑原薬師堂で拝見することができないことが、少しさみしく思いましたが、
お堂から近い場所に、かんなみ仏の里美術館の新しい建物見えた時にはなんだかほっとしました。

素敵な出会いに感謝です。

かんなみ仏の里美術館は、2012年4月14日(土)オープンです♪ http://www.kannami-museum.jp/
2012年03月01日
伊豆下田仏像めぐりの旅~♪その6 稲田寺
伊豆下田仏像めぐりの旅最終地点は、稲田寺です。
下田駅から歩いて5分ほどの場所にあります。
こちらには、平安時代後期 丈六の阿弥陀如来様がいらっしゃいます。
奥州平泉へ運ぶ途中で、事情があり降ろされたとも言われています。

すごく素敵な雰囲気。やさしいまなざしで、人を癒し、時を過ごして来られたのでしょう。

そしてそして思わずかけよってしまったのが、こちらの脇侍♪
キュートすぎる


ウインクしてます。←しているように見えているだけです。

手の力の入れ方もかわいい~萌えええええ~


クライマックスにふさわしいおだやかでやさしい仏様でした。
伊豆下田の旅とても楽しかったです。
仏像を好きな皆様と旅させていただくと
いろいろな発見があり、お話できて、勉強させていただいて、より深みをまし、とても楽しいです。
ありがとうございました
そして今回の旅を細部に渡り計画してくださった、かーつさんに改めてお礼申し上げます。
ありがとうございました♪
下田駅から歩いて5分ほどの場所にあります。
こちらには、平安時代後期 丈六の阿弥陀如来様がいらっしゃいます。
奥州平泉へ運ぶ途中で、事情があり降ろされたとも言われています。

すごく素敵な雰囲気。やさしいまなざしで、人を癒し、時を過ごして来られたのでしょう。

そしてそして思わずかけよってしまったのが、こちらの脇侍♪
キュートすぎる



ウインクしてます。←しているように見えているだけです。

手の力の入れ方もかわいい~萌えええええ~


クライマックスにふさわしいおだやかでやさしい仏様でした。
伊豆下田の旅とても楽しかったです。
仏像を好きな皆様と旅させていただくと
いろいろな発見があり、お話できて、勉強させていただいて、より深みをまし、とても楽しいです。
ありがとうございました

そして今回の旅を細部に渡り計画してくださった、かーつさんに改めてお礼申し上げます。
ありがとうございました♪
2012年02月24日
伊豆下田仏像めぐりの旅~♪その4 天神神社
伊豆下田仏像めぐりの旅
次に訪れたのは、天神神社です。
おお~♪この階段は趣あるけど、長い!

登った先はこんな感じ♪

真ん中のお堂が、天神神社
の本堂。
そして左側の、大きなガラス張りの収蔵庫に大日如来様と四天王が安置されています。
神社に、仏像が?
というのは、もともと、こちらの大日如来は蓮台寺という廃寺にあったもので、天神神社に移された
のだそうです。
神様も仏様も仲良く共存している
日本って改めてセンスのある国だなあと思います。

大日如来様は、慶派の仏様だということです。切れ長の穏やかなお顔。
美しい宝冠を戴いています。美しい~。
四天王は、制作時期の異なる2組から成っています。
後ろ側にいらっしゃる、持国天、多聞天が、平安末期から鎌倉時代作
前にいらっしゃるのは江戸時代作と言われています。
伝来があきらかではないそうです。
自然の中にある、ケースのような収蔵庫は、とってもゆったり、静かに仏様を拝見することができました。
こちらのご神木も美しいです。

この看板かわいい♪

下田市蓮台寺251
次に訪れたのは、天神神社です。
おお~♪この階段は趣あるけど、長い!

登った先はこんな感じ♪

真ん中のお堂が、天神神社
の本堂。
そして左側の、大きなガラス張りの収蔵庫に大日如来様と四天王が安置されています。
神社に、仏像が?

というのは、もともと、こちらの大日如来は蓮台寺という廃寺にあったもので、天神神社に移された
のだそうです。
神様も仏様も仲良く共存している

日本って改めてセンスのある国だなあと思います。

大日如来様は、慶派の仏様だということです。切れ長の穏やかなお顔。
美しい宝冠を戴いています。美しい~。
四天王は、制作時期の異なる2組から成っています。
後ろ側にいらっしゃる、持国天、多聞天が、平安末期から鎌倉時代作
前にいらっしゃるのは江戸時代作と言われています。
伝来があきらかではないそうです。
自然の中にある、ケースのような収蔵庫は、とってもゆったり、静かに仏様を拝見することができました。
こちらのご神木も美しいです。

この看板かわいい♪

下田市蓮台寺251
2012年02月22日
伊豆下田仏像めぐりの旅~♪その3 南禅寺(なぜんじ)
南禅寺(なぜんじ)は、行基が開創したという言い伝えのあるお寺です。
森林浴を楽しみながら、
といってもちょっと急な山道を登り、美しい木々と静寂にかこまれたお堂にたどり着きます。

南禅寺は、かつては、那蘭陀寺(ならんだじ)という大寺であり、室町時代に裏山が崩壊し、廃寺となったと言われています。
お堂は江戸時代に再建されたものであるそうです。
奇跡的に、救出された平安時代前期から、中期の一木造りの仏像群が安置されています。
これだけの質とたくさんの素晴らしい仏像が、残されているということは、大きなお寺だったというよりも、ひとつの文化圏だったのではないかとも言われています。
ミステリアスで夢のある場所です~
まだ、仏像が、埋まっているのではないかと考えられ、現在でも、この地域の方は、畑などに肥料をまくのを躊躇するそうです。
こちらがお堂の中
おお~♪ただものではない仏像群の数々言葉を失います。

中央にいらっしゃるのは、薬師如来様十一世紀前半の作で、かやの一木造りです。
包容力ある胸、怒らせた肩。

惚れ惚れしてしまいます。翻波式という彫法ということだそうですが、とてもおしゃれな衣を着ていらっしゃいます。

こちらの地蔵菩薩様も素敵
額が広い!なでなでしたくなります。
衣文もおしゃれです。

十一面観音様

沢山の仏様がいらっしゃいます。
まだ修復されていない、破損仏様も多数いらっしゃいます。
もとのお姿を想像してみると、やっぱりただものではない仏様です。

バランスの良い体と量感♪
奈良や京都の仏像にも匹敵する仏様だったのだと感じます。


はっ♪中央にイケメン発見
毘沙門天様のようです。
この眼力
吸い込まれそうなんですけど~

平安時代に、都から離れた伊豆という地に、素晴らしい仏像群があるとは、驚きであり、
その歴史も謎につつまれている事が多く、ますます興味深い地域だと感じました。
そして、南禅寺もやはり地域の方にとても大切にされていて、あたたかい気持ちになりました
ご朱印はセルフサービスで~す♪

河津町谷津
森林浴を楽しみながら、
といってもちょっと急な山道を登り、美しい木々と静寂にかこまれたお堂にたどり着きます。

南禅寺は、かつては、那蘭陀寺(ならんだじ)という大寺であり、室町時代に裏山が崩壊し、廃寺となったと言われています。
お堂は江戸時代に再建されたものであるそうです。
奇跡的に、救出された平安時代前期から、中期の一木造りの仏像群が安置されています。
これだけの質とたくさんの素晴らしい仏像が、残されているということは、大きなお寺だったというよりも、ひとつの文化圏だったのではないかとも言われています。
ミステリアスで夢のある場所です~

まだ、仏像が、埋まっているのではないかと考えられ、現在でも、この地域の方は、畑などに肥料をまくのを躊躇するそうです。
こちらがお堂の中

おお~♪ただものではない仏像群の数々言葉を失います。

中央にいらっしゃるのは、薬師如来様十一世紀前半の作で、かやの一木造りです。
包容力ある胸、怒らせた肩。

惚れ惚れしてしまいます。翻波式という彫法ということだそうですが、とてもおしゃれな衣を着ていらっしゃいます。

こちらの地蔵菩薩様も素敵

額が広い!なでなでしたくなります。
衣文もおしゃれです。

十一面観音様

沢山の仏様がいらっしゃいます。
まだ修復されていない、破損仏様も多数いらっしゃいます。
もとのお姿を想像してみると、やっぱりただものではない仏様です。

バランスの良い体と量感♪
奈良や京都の仏像にも匹敵する仏様だったのだと感じます。


はっ♪中央にイケメン発見
毘沙門天様のようです。
この眼力
吸い込まれそうなんですけど~


平安時代に、都から離れた伊豆という地に、素晴らしい仏像群があるとは、驚きであり、
その歴史も謎につつまれている事が多く、ますます興味深い地域だと感じました。
そして、南禅寺もやはり地域の方にとても大切にされていて、あたたかい気持ちになりました

ご朱印はセルフサービスで~す♪
河津町谷津
2012年02月20日
伊豆下田仏像めぐりの旅~♪その2 涅槃堂
伊豆下田仏像めぐり2件目は、涅槃堂です。
のどかな道沿いに、涅槃堂の看板が見えます。2月5日は、まだまだ寒いはずなのに、
ぽかぽかしてます
ピクニック気分♪

こちらも雰囲気あるお堂 涅槃堂です。
涅槃堂は、もと僧侶の他の地区に法要に出る際の控所(衣更えの場所)とも伝えられるそうです。
寝釈迦様は、60年に1度の本開帳という行事が行われるということです。
今年はその60年に一度にあたる年なのだそうです。
釈迦如来涅槃像、阿弥陀三尊像
涅槃像は、桧一木造漆箔で全長が2.5mあり、とても大きいです。

親しみのあるお顔のお釈迦様。お昼寝しているような♪あたたかい表情です。

地元の方のお話では、この地域の器用な職人の方が、彫り、今まで大切にされてきたのではないかとのことです。
そして、背属像がずらり。
お釈迦様が入滅されて、悲しい表情なのかと思いきや、
なんとユーモアのある仏様なのでしょう。
思わず笑顔になってしまいました♪


温かみあるなあ~♪
お堂全体が、この仏像群のなんとも言えない、ゆる~いやさしい雰囲気漂ってます
地元の方に愛されてきた理由がわかる、癒しの素敵なお堂でした
かわいらしいお地蔵様

狛犬?ジブリ映画にでてきそうな、興味ひかれました。



涅槃堂
静岡県賀茂郡河津町沢田
のどかな道沿いに、涅槃堂の看板が見えます。2月5日は、まだまだ寒いはずなのに、
ぽかぽかしてます

ピクニック気分♪

こちらも雰囲気あるお堂 涅槃堂です。
涅槃堂は、もと僧侶の他の地区に法要に出る際の控所(衣更えの場所)とも伝えられるそうです。
寝釈迦様は、60年に1度の本開帳という行事が行われるということです。
今年はその60年に一度にあたる年なのだそうです。

釈迦如来涅槃像、阿弥陀三尊像
涅槃像は、桧一木造漆箔で全長が2.5mあり、とても大きいです。

親しみのあるお顔のお釈迦様。お昼寝しているような♪あたたかい表情です。

地元の方のお話では、この地域の器用な職人の方が、彫り、今まで大切にされてきたのではないかとのことです。
そして、背属像がずらり。
お釈迦様が入滅されて、悲しい表情なのかと思いきや、
なんとユーモアのある仏様なのでしょう。
思わず笑顔になってしまいました♪


温かみあるなあ~♪
お堂全体が、この仏像群のなんとも言えない、ゆる~いやさしい雰囲気漂ってます

地元の方に愛されてきた理由がわかる、癒しの素敵なお堂でした

かわいらしいお地蔵様

狛犬?ジブリ映画にでてきそうな、興味ひかれました。



涅槃堂
静岡県賀茂郡河津町沢田
2012年02月17日
伊豆下田仏像めぐりの旅~♪その1 十一面観音様 善光庵
仏像好きでお友達になった皆様と、伊豆下田の仏像めぐりに行ってきました。
とても素敵で楽しくそして興奮する旅となりました♪
一緒に旅してくださった皆様ありがとうございました♪
熱海から、伊豆急下田行きに乗り換えます。
ビュー列車というのか、窓に向かって座席が向いている列車にのっていざ河津まで
海と空がきれい~♪幻想的な風景を楽しむことができます。

河津までは、一時間半ほどかかるのですが、仏像話に花が咲き、あっという間に到着
静岡県の文化財の本、みんな持ってた
2月5日は、河津さくらまつりが開催されていましたが、原木はまだ一輪だけ。
駅前の桜が少し咲いていました

善光庵へ。
のどかな道をテクテク
癒される~こういうのが仏像めぐりの醍醐味のひとつですよね。
善光庵は下峰観音堂と呼ばれていて、下峰区で管理されているそうです。

善光庵に到着!この雰囲気ある階段とお堂。どうですか???
泣けてくる。

そして、こちらの十一面観音様がこれまたお美しいのです。
十一面観音菩薩立像

ヒノキ一木造の等身大の仏様で、平安時代中期頃の作品と言われているそうです。
仏像の特長から、下田の南禅寺(なぜんじ)の仏像に近いものがあるので、南禅寺から運ばれてきたという
言い伝えもあるそうです。

お顔は、木目がよく生かされています。木目が、更にやさしい表情を引き出しているようです。
胸の厚みもたくましい~

後ろからのアングルも美しい仏様。抱きつきたくなります(←注)抱きついてはダメです)
仏様の横に置かれていたいろいろ、気になります。
こちらの足は、後補されたであろう足の部分の、前のものだろうとのことです。


善光庵の十一面観音様は、静岡県下で最も古いと言われていますが、とてもきれいに保存されています。
長い間地元の人たちに、大切にされてきたんだなと思います。やさしい微笑みが、こころのよりどころとされてきたのかもしれませんね
お堂の前にいらっしゃった、六地蔵様。趣があります。


善光庵
413-0511
静岡県賀茂郡河津町峰400
事前の拝観予約が必要です。
とても素敵で楽しくそして興奮する旅となりました♪
一緒に旅してくださった皆様ありがとうございました♪
熱海から、伊豆急下田行きに乗り換えます。
ビュー列車というのか、窓に向かって座席が向いている列車にのっていざ河津まで

海と空がきれい~♪幻想的な風景を楽しむことができます。

河津までは、一時間半ほどかかるのですが、仏像話に花が咲き、あっという間に到着
静岡県の文化財の本、みんな持ってた

2月5日は、河津さくらまつりが開催されていましたが、原木はまだ一輪だけ。
駅前の桜が少し咲いていました


善光庵へ。
のどかな道をテクテク

癒される~こういうのが仏像めぐりの醍醐味のひとつですよね。
善光庵は下峰観音堂と呼ばれていて、下峰区で管理されているそうです。

善光庵に到着!この雰囲気ある階段とお堂。どうですか???
泣けてくる。

そして、こちらの十一面観音様がこれまたお美しいのです。
十一面観音菩薩立像

ヒノキ一木造の等身大の仏様で、平安時代中期頃の作品と言われているそうです。
仏像の特長から、下田の南禅寺(なぜんじ)の仏像に近いものがあるので、南禅寺から運ばれてきたという
言い伝えもあるそうです。

お顔は、木目がよく生かされています。木目が、更にやさしい表情を引き出しているようです。
胸の厚みもたくましい~

後ろからのアングルも美しい仏様。抱きつきたくなります(←注)抱きついてはダメです)

仏様の横に置かれていたいろいろ、気になります。
こちらの足は、後補されたであろう足の部分の、前のものだろうとのことです。


善光庵の十一面観音様は、静岡県下で最も古いと言われていますが、とてもきれいに保存されています。
長い間地元の人たちに、大切にされてきたんだなと思います。やさしい微笑みが、こころのよりどころとされてきたのかもしれませんね

お堂の前にいらっしゃった、六地蔵様。趣があります。



善光庵
413-0511
静岡県賀茂郡河津町峰400
事前の拝観予約が必要です。
2011年06月10日
美しい阿弥陀如来像 成福寺
伊豆箱根鉄道韮山駅より歩いて10分ほどのところに
浄土真宗 大谷派 成福寺があります。
本山 京都東本願寺派に属します。
鎌倉時代八第執権北条時宗の三男の北条正宗入道が、1289年に建立したと言われています。
北条正宗は、韮山の地で曽祖父北条時政の持仏堂を元に成福寺を建立しました。
以来、北条氏の血脈保ち現在に至っているそうです。

本堂です。
平成元年に建てられたそうです。
江戸時代後期に建てられたそれまでの本堂は改造され客殿となっているそうです。
立派なお堂だなあと見ていると、中にいらっしゃた女性の方が「どうぞ上がってください。」とやさしくお声かけくださり、本堂に上がらせていただきました。
ご住職様が本堂にいらっしゃり、阿弥陀如来様のお話、お寺のお話を丁寧にお聞かせくださいました。
ご住職様と女性の方のやさしさが今でも印象に残っています
親切にしていただきありがとうございました
本尊 阿弥陀如来 木造寄木漆箔 鎌倉時代造


バランスよくとても綺麗な阿弥陀如来様です。
お顔はやさしいけれど、肉づきのよい体格です。
浄土真宗の立像の阿弥陀如来様
歩み寄ってくださっているような、すぐに救いに来てくださるように立っていらっしゃるのだなと感じます。
住職様に、他にはどちらのお寺に行かれましたかと聞かれ、
願成就院のお話をすると、毘沙門天が素晴らしいというお話になりました
よくよく考えてみると、ご住職様は、北条氏の血脈。
すごいことです
帰る際、ご住職が書かれている成福寺の寺報をいただきました。
素敵な阿弥陀如来三尊像の法話が掲載されていました。
(阿弥陀三尊像とは、極楽浄土に連れて行ってくださる阿弥陀如来様と、右側に慈悲の観音菩薩、
左側に智恵の勢至菩薩という三つの仏様が並びます。)
東日本大震災の際沢山流れた、ACジャパンのCMと、阿弥陀三尊像を結びつけて法話をされています。
金子みすずの「こだまでしょうか」は、慈悲の観音菩薩様の「同悲」「同苦」を表している。
悲しむ人と同じ悲しみを私たちに感じさせ、同じ苦しみを抱いてその人に寄り添うことで救おうとすること。
震災で被害にあった方のことを思うとき、その境遇ではない私たちが胸を痛めること。
これは観音菩薩の慈悲の心が自分に同化した時に感じる心なのだと書かれています。
宮沢章二の「心は見えないけれど」は勢至菩薩の働きである。心で寄り添うだけで終わらず、迷いと争い苦しみから智恵をもって救い正しい行いをさせるのが勢至菩薩様。被災地の方に自分のことのように悲しみを感じて何かせずに入れない気持ち。ボランティアや義捐金という行為を起こすことそれは
勢至菩薩の力が私たちを動かしたのだと言います。
そして阿弥陀如来様は、どんな人も見捨てない仏様なのです。絶望したとしても、くじけたとしても絶対に、「私を呼びなさい私はあなたを必ず救う」と導いてくれる仏様だと書かれています。
人の中にも、自分自身にも 仏は存在するのですね。
人と接するとき、相手の人の仏探しをするようにしてみよう
今よりもっと素敵になるのだなと感じました。
韮山の仏像めぐりの旅は成福寺で終了です。楽しくうれしい旅となりました。

成福寺 静岡県伊豆の国市四日町981
浄土真宗 大谷派 成福寺があります。
本山 京都東本願寺派に属します。
鎌倉時代八第執権北条時宗の三男の北条正宗入道が、1289年に建立したと言われています。
北条正宗は、韮山の地で曽祖父北条時政の持仏堂を元に成福寺を建立しました。
以来、北条氏の血脈保ち現在に至っているそうです。

本堂です。

江戸時代後期に建てられたそれまでの本堂は改造され客殿となっているそうです。
立派なお堂だなあと見ていると、中にいらっしゃた女性の方が「どうぞ上がってください。」とやさしくお声かけくださり、本堂に上がらせていただきました。
ご住職様が本堂にいらっしゃり、阿弥陀如来様のお話、お寺のお話を丁寧にお聞かせくださいました。
ご住職様と女性の方のやさしさが今でも印象に残っています

親切にしていただきありがとうございました

本尊 阿弥陀如来 木造寄木漆箔 鎌倉時代造


バランスよくとても綺麗な阿弥陀如来様です。
お顔はやさしいけれど、肉づきのよい体格です。
浄土真宗の立像の阿弥陀如来様

住職様に、他にはどちらのお寺に行かれましたかと聞かれ、
願成就院のお話をすると、毘沙門天が素晴らしいというお話になりました

よくよく考えてみると、ご住職様は、北条氏の血脈。
すごいことです

帰る際、ご住職が書かれている成福寺の寺報をいただきました。
素敵な阿弥陀如来三尊像の法話が掲載されていました。
(阿弥陀三尊像とは、極楽浄土に連れて行ってくださる阿弥陀如来様と、右側に慈悲の観音菩薩、
左側に智恵の勢至菩薩という三つの仏様が並びます。)
東日本大震災の際沢山流れた、ACジャパンのCMと、阿弥陀三尊像を結びつけて法話をされています。
金子みすずの「こだまでしょうか」は、慈悲の観音菩薩様の「同悲」「同苦」を表している。
悲しむ人と同じ悲しみを私たちに感じさせ、同じ苦しみを抱いてその人に寄り添うことで救おうとすること。
震災で被害にあった方のことを思うとき、その境遇ではない私たちが胸を痛めること。
これは観音菩薩の慈悲の心が自分に同化した時に感じる心なのだと書かれています。
宮沢章二の「心は見えないけれど」は勢至菩薩の働きである。心で寄り添うだけで終わらず、迷いと争い苦しみから智恵をもって救い正しい行いをさせるのが勢至菩薩様。被災地の方に自分のことのように悲しみを感じて何かせずに入れない気持ち。ボランティアや義捐金という行為を起こすことそれは
勢至菩薩の力が私たちを動かしたのだと言います。
そして阿弥陀如来様は、どんな人も見捨てない仏様なのです。絶望したとしても、くじけたとしても絶対に、「私を呼びなさい私はあなたを必ず救う」と導いてくれる仏様だと書かれています。
人の中にも、自分自身にも 仏は存在するのですね。

人と接するとき、相手の人の仏探しをするようにしてみよう

韮山の仏像めぐりの旅は成福寺で終了です。楽しくうれしい旅となりました。

成福寺 静岡県伊豆の国市四日町981
2011年06月08日
恋しちゃった仏像 武士の願いと運慶仏 願成就院
韮山駅から徒歩15分ほどの場所に
高野山真言宗 願成就院(がんじょうじゅいん)があります。

寺伝によると、奈良時代729年、聖武天皇の天平元年に創立されたと伝えられますが、
鎌倉時代の「吾妻鏡」からは、1189年、北条政子の父、鎌倉幕府初代執権北条時政公が
源頼朝の藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立されたとのことです。北条氏の寺として、二代執権北条義時公、三代執権北条泰時公の三代にわたり、次々に堂塔が建立され
繁栄を極めました
しかしこうした繁栄も兵火にみまわれ衰退してゆきます。
江戸時代に、荒廃を嘆いた、北条美濃守氏貞が仏像等の修復を行い、昭和三十年以降に、
文化財の保護の浄業として大御堂が再建され今日に至っています。
門に掲げられた願成就院の文字を見るだけで鳥肌もの
こちらのお寺の見所はなんといっても運慶仏に逢えることです。
(※運慶とは、日本彫刻史上最大の仏像作家の一人と言われる人物です。東大寺南大門の金剛力士像、円成寺の大日如来など)
心地いい緊張感を感じながら、ご住職様にお堂へ案内していただきます。
ドーン
お堂を入った瞬間、ものすごい勢いで、三体の仏像が目に飛び込んできます。
左に不動三尊、真ん中に阿弥陀如来、右に毘沙門天
言葉にうまくできないけど、かなりの感動ものです。
しばらく硬直状態です。
(仏像等は、お写真は撮れません。)
重要文化財 阿弥陀如来坐像
寄木造 像高143センチ運慶作と言われる。
バランスよく安定感があり、そして胸板ー!厚い!!!
お顔はとってもやさしい慈悲に満ち溢れています。
手が欠失していることに気付き、住職さんに尋ねると、こちらはもともと説法印という印を結んでいたのだそう。阿弥陀様は来迎印や定印が多く見られる中で、説法印の阿弥陀様は9世紀前に多く見られたそうです。
古代彫刻を手本にし、鎌倉時代の新しい要素を入れてつくられたのだそうです。
こちらの印は修復可能ですが、今のままで美しいので修復はしないそうです。
それにしても、男性的ではつらつとした仏様!
武士好みですよね。
重要文化財 毘沙門天像
鎌倉初期 寄木造 像高147センチ 運慶作
仏法の守護神四天王の一人でもある毘沙門天(四天王では北を守る多聞天と呼ばれます。)
鎧に身を固めた毘沙門天様。武士の姿なのでしょうか?
今にも動き出しそうな勢いです。
動の仏様を絶妙なバランスで見事に表現している。運慶は天才です。
良く見える位置まで移動してみると、目が合う位置があります
きゃっ
抱きつきたい~!踏まれている邪気がうらやましい
仏像というより人を見ている感覚に。
2度見どころか、10度見。
しかしながら、毘沙門天様には、吉祥天という奥様がいらっしゃいます。
私の恋は失恋です。
美しくやさしい、吉祥天ならば仕方が無い
重要文化財 不動明王像
鎌倉初期 寄木造 像高136.5センチ 運慶作
こちらの不動明王像もいかり肩に、胸板厚い!
かっこいい仏様です。こんな怒り顔でにらまれたら、仏敵も、煩悩も、邪悪な心もぶっとびます。
頭髪のくねくね具合がおしゃれです。
生きてる?と錯覚します
重要文化財 矜羯羅童子(こんがらどうじ)
鎌倉初期 寄木造 像高78センチ 運慶作
重要文化財 制吐迦童子(せいたかどうじ)
鎌倉初期 寄木造 像高82.6センチ 運慶作
愛嬌のある仏像は不動明王の脇侍であります。
矜羯羅童子は少女を思わせる姿で静、制吐迦童子は男の子を思わせる姿で動。
この対照的な表現がまた素敵です。
一度見たら忘れられないお顔!


書籍 願成就院 より
矜羯羅童子 私似てるかも
←恐れ多いのですが。
毘沙門天、不動三尊象は胎内に入っていた、銘札より運慶の35歳の頃の真作ということが証明されました。
運慶様式の成立を考える上で、この壮年期の運慶の仏像は大変貴重であり、大きな意義があります
宝物館で銘札を見ることができます。
宝物館には、政子地蔵菩薩を拝見することができます。生前の北条政子をたくみに表現した像。
北条泰時が、北条政子の7回忌に奉納したそうです。
ひきしまっていて美しい仏様です。
雨のせいか、願成就院には、私一人。
独占状態でとても贅沢な時間を過ごしました
ご住職様に、願成就院の歴史や、辺りの歴史などを丁寧に教えていただき穏やかな時間が過ぎました。
ありがとうございました
受付でこんな本を購入しました。
願成就院の創建と歴史についてや、諸仏についての学説などが書かれており興味深いです。

歴史には、寺には、必ず人の心や願いがつきものです。
武士が願ったこと、好むもの、大切にしたもの。こちらのお寺では、沢山の思いが詰め込まれている気がしました。
こちらのお寺には、女性が最近良く来るようになったとのことです。
きっと、こちらの毘沙門天に恋してしまった人は
私だけでないはず
今回お写真を掲載できませんでしたが、
伊豆の国市観光協会、ホームページに、願成就院の運慶仏のお写真が掲載されています。
http://www.izunotabi.com/jpn/see/2009/03/-1-54.html
願成就院 静岡県伊豆の国市寺家83-1
高野山真言宗 願成就院(がんじょうじゅいん)があります。

寺伝によると、奈良時代729年、聖武天皇の天平元年に創立されたと伝えられますが、
鎌倉時代の「吾妻鏡」からは、1189年、北条政子の父、鎌倉幕府初代執権北条時政公が
源頼朝の藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立されたとのことです。北条氏の寺として、二代執権北条義時公、三代執権北条泰時公の三代にわたり、次々に堂塔が建立され
繁栄を極めました

しかしこうした繁栄も兵火にみまわれ衰退してゆきます。
江戸時代に、荒廃を嘆いた、北条美濃守氏貞が仏像等の修復を行い、昭和三十年以降に、
文化財の保護の浄業として大御堂が再建され今日に至っています。
門に掲げられた願成就院の文字を見るだけで鳥肌もの

こちらのお寺の見所はなんといっても運慶仏に逢えることです。
(※運慶とは、日本彫刻史上最大の仏像作家の一人と言われる人物です。東大寺南大門の金剛力士像、円成寺の大日如来など)
心地いい緊張感を感じながら、ご住職様にお堂へ案内していただきます。
ドーン

お堂を入った瞬間、ものすごい勢いで、三体の仏像が目に飛び込んできます。
左に不動三尊、真ん中に阿弥陀如来、右に毘沙門天
言葉にうまくできないけど、かなりの感動ものです。
しばらく硬直状態です。
(仏像等は、お写真は撮れません。)
重要文化財 阿弥陀如来坐像
寄木造 像高143センチ運慶作と言われる。
バランスよく安定感があり、そして胸板ー!厚い!!!
お顔はとってもやさしい慈悲に満ち溢れています。
手が欠失していることに気付き、住職さんに尋ねると、こちらはもともと説法印という印を結んでいたのだそう。阿弥陀様は来迎印や定印が多く見られる中で、説法印の阿弥陀様は9世紀前に多く見られたそうです。
古代彫刻を手本にし、鎌倉時代の新しい要素を入れてつくられたのだそうです。
こちらの印は修復可能ですが、今のままで美しいので修復はしないそうです。
それにしても、男性的ではつらつとした仏様!
武士好みですよね。
重要文化財 毘沙門天像
鎌倉初期 寄木造 像高147センチ 運慶作
仏法の守護神四天王の一人でもある毘沙門天(四天王では北を守る多聞天と呼ばれます。)
鎧に身を固めた毘沙門天様。武士の姿なのでしょうか?
今にも動き出しそうな勢いです。
動の仏様を絶妙なバランスで見事に表現している。運慶は天才です。
良く見える位置まで移動してみると、目が合う位置があります


抱きつきたい~!踏まれている邪気がうらやましい
仏像というより人を見ている感覚に。
2度見どころか、10度見。
しかしながら、毘沙門天様には、吉祥天という奥様がいらっしゃいます。
私の恋は失恋です。
美しくやさしい、吉祥天ならば仕方が無い

重要文化財 不動明王像
鎌倉初期 寄木造 像高136.5センチ 運慶作
こちらの不動明王像もいかり肩に、胸板厚い!
かっこいい仏様です。こんな怒り顔でにらまれたら、仏敵も、煩悩も、邪悪な心もぶっとびます。
頭髪のくねくね具合がおしゃれです。
生きてる?と錯覚します

重要文化財 矜羯羅童子(こんがらどうじ)
鎌倉初期 寄木造 像高78センチ 運慶作
重要文化財 制吐迦童子(せいたかどうじ)
鎌倉初期 寄木造 像高82.6センチ 運慶作
愛嬌のある仏像は不動明王の脇侍であります。
矜羯羅童子は少女を思わせる姿で静、制吐迦童子は男の子を思わせる姿で動。
この対照的な表現がまた素敵です。
一度見たら忘れられないお顔!

書籍 願成就院 より
矜羯羅童子 私似てるかも

毘沙門天、不動三尊象は胎内に入っていた、銘札より運慶の35歳の頃の真作ということが証明されました。
運慶様式の成立を考える上で、この壮年期の運慶の仏像は大変貴重であり、大きな意義があります

宝物館で銘札を見ることができます。
宝物館には、政子地蔵菩薩を拝見することができます。生前の北条政子をたくみに表現した像。
北条泰時が、北条政子の7回忌に奉納したそうです。
ひきしまっていて美しい仏様です。
雨のせいか、願成就院には、私一人。
独占状態でとても贅沢な時間を過ごしました

ご住職様に、願成就院の歴史や、辺りの歴史などを丁寧に教えていただき穏やかな時間が過ぎました。
ありがとうございました

受付でこんな本を購入しました。
願成就院の創建と歴史についてや、諸仏についての学説などが書かれており興味深いです。
歴史には、寺には、必ず人の心や願いがつきものです。
武士が願ったこと、好むもの、大切にしたもの。こちらのお寺では、沢山の思いが詰め込まれている気がしました。
こちらのお寺には、女性が最近良く来るようになったとのことです。
きっと、こちらの毘沙門天に恋してしまった人は
私だけでないはず

今回お写真を掲載できませんでしたが、
伊豆の国市観光協会、ホームページに、願成就院の運慶仏のお写真が掲載されています。
http://www.izunotabi.com/jpn/see/2009/03/-1-54.html
願成就院 静岡県伊豆の国市寺家83-1
2011年06月06日
美しく悲しい恋のお話 真珠院
伊豆韮山仏像巡り
韮山駅から徒歩20分の場所に、
曹洞宗 真珠院があります。

真珠院は、鎌倉時代に真言宗の寺として開創され、室町時代に曹洞宗に改宗されたとのことです。近隣の寺を末寺として取り込み壮大な寺院に発展しました。
本尊は釈迦無尼仏、脇立として、阿難尊者、迦葉尊者の二仏が安置されています。
左右に永平寺御開山高祖 道元禅師、総持寺御開山大祖 ケイ山禅師を祀ってあり、
達磨大師、十六羅漢像が安置されているそうです。
残念ながら、拝見することができませんでしたが、とても立派な本堂です。

ところで、真珠院というお名前
清楚で素敵なお名前ですよね
こちらのお寺には、この名前のような、美しく悲しい恋のお話があります。
【伊東八重姫入水の地】
伊豆に流されていた頼朝は、八重姫との間に一子「千鶴丸」をもうけます。
八重姫の父伊東祐親の怒りにあい、千鶴丸は源平相剋のいけにえにされます。
頼朝は、北条時政のもとに逃れます。
頼朝を忘れられない八重姫は、意を決して、頼朝に会うため伊東の館を抜け出し、亀石峠の難路を通り、北条時政の館を訪ねるのだが、頼朝は、時政の娘政子と結ばれていた。
八重姫は、幽閉の身であったため帰る場所がなく、真珠ヶ淵の渦巻く流れの中に身を投げました。
真珠院には、八重姫御堂(静堂)、梯子供養(八重姫が入水した際、せめて梯子があれば助かったかもしれないという気持ちが、願い事が叶った際、梯子を供える習慣)、願かけ石(自分の歳だけ石をたたくと願い事が叶う)など、このお話にまつわる信仰が残されています。
このような、信仰が生まれるということ。
昔の人の気持ちや純粋さを感じ、清々しい
思いです。
鎌倉時代、戦に赴く男性はもちろん、女性も激しい時代だったはずです。
強く生きること、潔く生きること。
今では想像できないくらい壮絶だったのでしょう
そんなことを思って、静かな真珠院をあとにしました。
真珠院境内には1302(正安4)年銘の定仙大和尚塔、
1335(建武2)年銘の宝篋院塔と五輪塔、
1363(貞治2)年銘の阿弥陀如来磨崖仏が残されています。
北条氏ゆかりの史跡をまわり、鎌倉時代の風を感じながら、訪れていただきたい素敵なお寺です。

幾度か流れを変えた狩野川。自然に囲まれた美しい川です。
真珠院 伊豆の国市中条2
韮山駅から徒歩20分の場所に、
曹洞宗 真珠院があります。

真珠院は、鎌倉時代に真言宗の寺として開創され、室町時代に曹洞宗に改宗されたとのことです。近隣の寺を末寺として取り込み壮大な寺院に発展しました。
本尊は釈迦無尼仏、脇立として、阿難尊者、迦葉尊者の二仏が安置されています。
左右に永平寺御開山高祖 道元禅師、総持寺御開山大祖 ケイ山禅師を祀ってあり、
達磨大師、十六羅漢像が安置されているそうです。
残念ながら、拝見することができませんでしたが、とても立派な本堂です。

ところで、真珠院というお名前
清楚で素敵なお名前ですよね

こちらのお寺には、この名前のような、美しく悲しい恋のお話があります。
【伊東八重姫入水の地】
伊豆に流されていた頼朝は、八重姫との間に一子「千鶴丸」をもうけます。
八重姫の父伊東祐親の怒りにあい、千鶴丸は源平相剋のいけにえにされます。
頼朝は、北条時政のもとに逃れます。
頼朝を忘れられない八重姫は、意を決して、頼朝に会うため伊東の館を抜け出し、亀石峠の難路を通り、北条時政の館を訪ねるのだが、頼朝は、時政の娘政子と結ばれていた。
八重姫は、幽閉の身であったため帰る場所がなく、真珠ヶ淵の渦巻く流れの中に身を投げました。
真珠院には、八重姫御堂(静堂)、梯子供養(八重姫が入水した際、せめて梯子があれば助かったかもしれないという気持ちが、願い事が叶った際、梯子を供える習慣)、願かけ石(自分の歳だけ石をたたくと願い事が叶う)など、このお話にまつわる信仰が残されています。
このような、信仰が生まれるということ。
昔の人の気持ちや純粋さを感じ、清々しい
思いです。
鎌倉時代、戦に赴く男性はもちろん、女性も激しい時代だったはずです。
強く生きること、潔く生きること。
今では想像できないくらい壮絶だったのでしょう

そんなことを思って、静かな真珠院をあとにしました。
真珠院境内には1302(正安4)年銘の定仙大和尚塔、
1335(建武2)年銘の宝篋院塔と五輪塔、
1363(貞治2)年銘の阿弥陀如来磨崖仏が残されています。
北条氏ゆかりの史跡をまわり、鎌倉時代の風を感じながら、訪れていただきたい素敵なお寺です。

幾度か流れを変えた狩野川。自然に囲まれた美しい川です。
真珠院 伊豆の国市中条2
2011年06月02日
すがりつきたくなる仏様と穏やかな仏様 北條寺
伊豆箱根鉄道韮山駅から徒歩20分の場所に
臨済宗 北條寺 があります。

鎌倉幕府創立に功労のあった、北条時政の子息北条義時が創建したお寺です。
狩野川は、流れを変えており、今の場所より東にあったそうです。
北条時政と義時との屋敷は近く、願成就院と北条寺も近くに在ったそうです。
拝観予約をした時間よりもとても早く到着してしまい、境内をうろうろしていたのですが、
私に気づいてくださり、ご住職様が丁寧に、お話をしてくださいました。
奥様もとても丁寧に対応してくださいました。
心から感謝です
こちらのお堂には、楽しみにしていた仏様がいらっしゃいますワクワクどきどき

木造阿弥陀如来坐像 静岡県指定文化財 国重要美術品
像高66.7センチ 桧材寄木造り 鎌倉時代作

北条義時の嫡子安千代が、大池で大蛇に襲われて命を失った時、北条寺を墓所とし、
七堂伽藍を建立し、仏像の本尊を仏師運慶に命じて作らせた。
運慶が3年がかりで一刀三札
金泥細金の彩色を施し3年かかって完成したそうです。
とても安定したバランスのいい素敵な阿弥陀様です。
目の部分は玉眼
遠くをしっかりと見ている目の表情が、とても印象的です。
鎌倉時代から、長い間この場所で、世の中を見てきたのでしょうか?
変わらずに見守ってくださっているのかと思うと。
すがりつきたくなります
仏像はガラスケースの中に安置のため、心ですがりつきます。
(※すがりつける場所にあったとしても仏像にはすがりついてはダメです)
仏像は鎌倉時代作ですが、光背、台座は江戸時代に作られたものだそうです。
光背や台座は、江戸時代に流行した、観音巡りの際、仏様をより良く見せる為に
各寺で作られることが多かったのだとお話されました。
現代的なお話だなと思います

木造観音菩薩
像高 50センチ弱 桂 寄木造り 南北朝時代作

遊戯(ゆげ)坐像という宋の様式を取り入れた仏様です。
鎌倉の東慶寺の水月観音様と同じ様式です。
鎌倉で何体か作られたという遊戯(ゆげ)坐像
日本には5~6体しかない貴重な仏像だお話していただきました。
鎌倉という地が、積極的に宋の文化を取り入れた為と言われています。
それにしても奥ゆかしい
お顔は宋の影響が感じられる西洋的な端整なお顔です。
ながれるような穏かな。そしてくつろいでいる
おとなりの阿弥陀様は遠くをかっと見ているのに対して
観音様はゆったりと、近くを温かく見守ってくれているという感じがします。
知的な感じ。
こんな仏様が家にいらっしゃったら、会社にいらっしゃったら。
いいなあ
ニタニタ
そして北条政子が中国に作らせ北条寺に寄進したとされる
牡丹鳥文繍帳を見せてくださいました。
牡丹の花、果樹、孔雀などの鳥獣が美しく刺繍されています。
お写真は北条寺でいただいた、資料に掲載されているものです。
とっても綺麗。鎌倉時代に刺繍されたものなのに、美しいまま、
鮮やかに残されています。

綺麗~
目を輝かせていると、
女性はこういうの好きだと思ってとご住職様
おやさしい心遣い本当にありがとうございます。
北条寺は、静かでとても美しいお寺です

山を上ると、北条義時夫妻のお墓が在りますよとお教えいただき、階段をのぼります。
階段を上ると、静かな場所にお墓がありました。
生誕の地で、穏やかに、時をすごしている様に感じました。

北条寺 静岡県伊豆の国市南江間862-1
臨済宗 北條寺 があります。

鎌倉幕府創立に功労のあった、北条時政の子息北条義時が創建したお寺です。
狩野川は、流れを変えており、今の場所より東にあったそうです。
北条時政と義時との屋敷は近く、願成就院と北条寺も近くに在ったそうです。
拝観予約をした時間よりもとても早く到着してしまい、境内をうろうろしていたのですが、
私に気づいてくださり、ご住職様が丁寧に、お話をしてくださいました。
奥様もとても丁寧に対応してくださいました。
心から感謝です

こちらのお堂には、楽しみにしていた仏様がいらっしゃいますワクワクどきどき


木造阿弥陀如来坐像 静岡県指定文化財 国重要美術品
像高66.7センチ 桧材寄木造り 鎌倉時代作

北条義時の嫡子安千代が、大池で大蛇に襲われて命を失った時、北条寺を墓所とし、
七堂伽藍を建立し、仏像の本尊を仏師運慶に命じて作らせた。
運慶が3年がかりで一刀三札
金泥細金の彩色を施し3年かかって完成したそうです。
とても安定したバランスのいい素敵な阿弥陀様です。
目の部分は玉眼

遠くをしっかりと見ている目の表情が、とても印象的です。
鎌倉時代から、長い間この場所で、世の中を見てきたのでしょうか?
変わらずに見守ってくださっているのかと思うと。
すがりつきたくなります

仏像はガラスケースの中に安置のため、心ですがりつきます。
(※すがりつける場所にあったとしても仏像にはすがりついてはダメです)
仏像は鎌倉時代作ですが、光背、台座は江戸時代に作られたものだそうです。
光背や台座は、江戸時代に流行した、観音巡りの際、仏様をより良く見せる為に
各寺で作られることが多かったのだとお話されました。
現代的なお話だなと思います


木造観音菩薩
像高 50センチ弱 桂 寄木造り 南北朝時代作

遊戯(ゆげ)坐像という宋の様式を取り入れた仏様です。
鎌倉の東慶寺の水月観音様と同じ様式です。
鎌倉で何体か作られたという遊戯(ゆげ)坐像
日本には5~6体しかない貴重な仏像だお話していただきました。
鎌倉という地が、積極的に宋の文化を取り入れた為と言われています。

それにしても奥ゆかしい

お顔は宋の影響が感じられる西洋的な端整なお顔です。
ながれるような穏かな。そしてくつろいでいる
おとなりの阿弥陀様は遠くをかっと見ているのに対して
観音様はゆったりと、近くを温かく見守ってくれているという感じがします。
知的な感じ。
こんな仏様が家にいらっしゃったら、会社にいらっしゃったら。
いいなあ

ニタニタ

そして北条政子が中国に作らせ北条寺に寄進したとされる
牡丹鳥文繍帳を見せてくださいました。
牡丹の花、果樹、孔雀などの鳥獣が美しく刺繍されています。
お写真は北条寺でいただいた、資料に掲載されているものです。
とっても綺麗。鎌倉時代に刺繍されたものなのに、美しいまま、
鮮やかに残されています。
綺麗~

女性はこういうの好きだと思ってとご住職様
おやさしい心遣い本当にありがとうございます。

北条寺は、静かでとても美しいお寺です


山を上ると、北条義時夫妻のお墓が在りますよとお教えいただき、階段をのぼります。
階段を上ると、静かな場所にお墓がありました。
生誕の地で、穏やかに、時をすごしている様に感じました。


北条寺 静岡県伊豆の国市南江間862-1