2011年06月24日
清々しく美しい歴史の宝箱 由比 本光寺
JR由比駅から、徒歩で約25分程の場所に
日蓮宗 本光寺 があります。
驚くほど沢山の、歴史がある素晴らしいお寺です。

日蓮上人の直弟子、六老僧白蓮阿闍梨日興を開基となし、日興のご母堂、妙福尊尼菩提のため、
元弘元(1331)年に創立されました。
当初は清水区蒲原の慶徳にあり慶徳寺と呼ばれていました。
武田信玄の侵略により蒲原城が落城した際、慶徳寺も兵火により焼失したそうです。
永禄13(1570)年、現在地由比に復興し本光寺と改めたそうです。
ご縁があり、ご住職にお話を伺える機会をいただきました。
とても丁寧に対応いただき、この場をお借りして、御礼申し上げます
ありがとうございました。
山門の金剛力士像近くで拝見できる場所にいらっしゃいます

ものすごい迫力!この迫力では、寺に仏敵が入り込むことなどまずないでしょう。
興奮しながら、かぶりつきで見ている私。
寺の守護神もあきれているのかも。
この大きな手で、跳ね除けられなくてよかった
この筋肉。そして躍動感!

足もたくましいですね

東海七福神殿
七福神が七体おそろいでおまつりされています。
一木造りの七福神。写真では伝わりにくいですが、
大きさに圧倒されます!しかも7体!
実物を是非御覧いただきたいです!!!

とても贅沢な気分

美しい弁財天様

やっぱり素敵!毘沙門天様
2体の邪鬼の表情がまた味があります。

坂をのぼっていくと、願満朝日日蓮堂があります。
日蓮上人の若き32才のお姿、「朝日の祖師」が祀られています。
合わせた手の力強さが印象的です。
裸形着装像のように見えましたが、聞き忘れた・・・。今度うかがってみます。
加藤清正の清正公像もいらっしゃいます。
勝負祈願の信仰でしょうか?
日蓮堂の傍には、薩埵峠(さったとうげ)の戦いに関係した石塔がありました。
浄瑠璃殿
浄瑠璃姫を供養している塔
悲恋のお話から、縁結びのご利益に結びついた由来があります。

浄瑠璃姫伝説
浄瑠璃姫は、尾張の国矢作の長者の娘です。
(日頃から信仰していた薬師浄瑠光如来にお願いして授かった子で有る為浄瑠璃姫と言うそうです。)
美しく育った浄瑠璃姫は、矢作の長者の家に泊まった、義経と恋に落ちます
義経は、鎌倉へ旅立つのですが、一途に恋した浄瑠璃姫は、義経の後を追い、
富士川のあたりまで追いかけたのですが、川の増水でと旅の疲れで、蒲原の地で亡くなったそうです。
本光寺の前身慶徳寺が、蒲原の光蓮寺に、浄瑠璃姫の位牌を引き継ぎ、供養されています。
この悲恋の物語は、後に、浄瑠璃御膳物語として、民衆に受け入れられます。
浄瑠璃伝説は、蒲原の地で亡くなったというお話以外に、川に身を投げたなどというお話もあります。
ザ、乙女心
グッときた!
そういえば伊豆韮山の真珠院でも、頼朝に関する悲恋のお話があった
源兄弟ってモテすぎではなかろうか?
殿には、阿弥陀三尊像のように見える三体の像。近づいてよく拝見すると
中心は、浄瑠璃姫の像です
薄紅をひいたやさしい口元、少女のようでいて意志のあるお顔。やさしい美しい癒されます
浄瑠璃姫像べっぴんさんすぎる。
私が男性だったら恋していると思う。
現在は、縁結びの信仰があり密かに訪れる方がいらっしゃるそうです。
一途な乙女心を思い出したい方も是非~←私の事ですがなにか?
羅漢堂

今にも動き出しそうな十六羅漢像が安置されています。
表情といい、なんとも圧倒される羅漢像
それにしても美しい自然に囲まれたお寺です。
マイナスイオンたっぷり

山を登りきった、最高のロケーションに、日蓮上人像が!

世界を力強い眼差しで見つめているようです。
手にも力がこもっています!
私たちを励ましてくださっているのかな。
着いて来いタイプ
「着いていきます!」と言ってしまいそうになる。
ご住職のお話の中に、本来の仏教は 「宗教」ではなく、「宗道」であるというお話があり
ました。
道とは道徳の道ということであり、宗教という枠にこだわらない生き方を説かれています。
「幸せになる為には、神様や仏様にすがったりするよりも、大自然のルールにふさわしい生き方を心がけ
実践する自分自身をたよりにしたほうが確実である」自灯明、法灯明と言うそうです。
仏様は、願う対象ではなく、成長する私たちを、一緒に励まし、寄り添ってくれる存在なのですね。
ご住職がとても素敵なお人柄であり、「宗道」の生き方のお話が、すんなり私のこころに響きました。
境内の自然とロケーションと仏様も影響しているのでしょう。


こちらの日蓮上人像の清々しい表情が理解できました。
思わず本光寺というストーリーに入り込んでしまっている私に、気付きました。

本光寺のホームページに 詳しい内容が記載されています。
http://yui-honkouji.com/
☆奈良の仏像巡りコースブログは只今のんびり作成中です。
日蓮宗 本光寺 があります。
驚くほど沢山の、歴史がある素晴らしいお寺です。

日蓮上人の直弟子、六老僧白蓮阿闍梨日興を開基となし、日興のご母堂、妙福尊尼菩提のため、
元弘元(1331)年に創立されました。
当初は清水区蒲原の慶徳にあり慶徳寺と呼ばれていました。
武田信玄の侵略により蒲原城が落城した際、慶徳寺も兵火により焼失したそうです。
永禄13(1570)年、現在地由比に復興し本光寺と改めたそうです。
ご縁があり、ご住職にお話を伺える機会をいただきました。
とても丁寧に対応いただき、この場をお借りして、御礼申し上げます

山門の金剛力士像近くで拝見できる場所にいらっしゃいます


ものすごい迫力!この迫力では、寺に仏敵が入り込むことなどまずないでしょう。
興奮しながら、かぶりつきで見ている私。
寺の守護神もあきれているのかも。
この大きな手で、跳ね除けられなくてよかった

この筋肉。そして躍動感!

足もたくましいですね


東海七福神殿
七福神が七体おそろいでおまつりされています。
一木造りの七福神。写真では伝わりにくいですが、
大きさに圧倒されます!しかも7体!
実物を是非御覧いただきたいです!!!

とても贅沢な気分


美しい弁財天様


やっぱり素敵!毘沙門天様


坂をのぼっていくと、願満朝日日蓮堂があります。
日蓮上人の若き32才のお姿、「朝日の祖師」が祀られています。
合わせた手の力強さが印象的です。
裸形着装像のように見えましたが、聞き忘れた・・・。今度うかがってみます。
加藤清正の清正公像もいらっしゃいます。
勝負祈願の信仰でしょうか?
日蓮堂の傍には、薩埵峠(さったとうげ)の戦いに関係した石塔がありました。
浄瑠璃殿
浄瑠璃姫を供養している塔
悲恋のお話から、縁結びのご利益に結びついた由来があります。

浄瑠璃姫伝説
浄瑠璃姫は、尾張の国矢作の長者の娘です。
(日頃から信仰していた薬師浄瑠光如来にお願いして授かった子で有る為浄瑠璃姫と言うそうです。)
美しく育った浄瑠璃姫は、矢作の長者の家に泊まった、義経と恋に落ちます

義経は、鎌倉へ旅立つのですが、一途に恋した浄瑠璃姫は、義経の後を追い、
富士川のあたりまで追いかけたのですが、川の増水でと旅の疲れで、蒲原の地で亡くなったそうです。
本光寺の前身慶徳寺が、蒲原の光蓮寺に、浄瑠璃姫の位牌を引き継ぎ、供養されています。
この悲恋の物語は、後に、浄瑠璃御膳物語として、民衆に受け入れられます。
浄瑠璃伝説は、蒲原の地で亡くなったというお話以外に、川に身を投げたなどというお話もあります。
ザ、乙女心
グッときた!
そういえば伊豆韮山の真珠院でも、頼朝に関する悲恋のお話があった

源兄弟ってモテすぎではなかろうか?

殿には、阿弥陀三尊像のように見える三体の像。近づいてよく拝見すると
中心は、浄瑠璃姫の像です

薄紅をひいたやさしい口元、少女のようでいて意志のあるお顔。やさしい美しい癒されます

浄瑠璃姫像べっぴんさんすぎる。
私が男性だったら恋していると思う。
現在は、縁結びの信仰があり密かに訪れる方がいらっしゃるそうです。
一途な乙女心を思い出したい方も是非~←私の事ですがなにか?

羅漢堂

今にも動き出しそうな十六羅漢像が安置されています。
表情といい、なんとも圧倒される羅漢像
それにしても美しい自然に囲まれたお寺です。
マイナスイオンたっぷり


山を登りきった、最高のロケーションに、日蓮上人像が!

世界を力強い眼差しで見つめているようです。
手にも力がこもっています!
私たちを励ましてくださっているのかな。
着いて来いタイプ

「着いていきます!」と言ってしまいそうになる。
ご住職のお話の中に、本来の仏教は 「宗教」ではなく、「宗道」であるというお話があり
ました。
道とは道徳の道ということであり、宗教という枠にこだわらない生き方を説かれています。
「幸せになる為には、神様や仏様にすがったりするよりも、大自然のルールにふさわしい生き方を心がけ
実践する自分自身をたよりにしたほうが確実である」自灯明、法灯明と言うそうです。
仏様は、願う対象ではなく、成長する私たちを、一緒に励まし、寄り添ってくれる存在なのですね。
ご住職がとても素敵なお人柄であり、「宗道」の生き方のお話が、すんなり私のこころに響きました。
境内の自然とロケーションと仏様も影響しているのでしょう。


こちらの日蓮上人像の清々しい表情が理解できました。
思わず本光寺というストーリーに入り込んでしまっている私に、気付きました。

本光寺のホームページに 詳しい内容が記載されています。
http://yui-honkouji.com/
☆奈良の仏像巡りコースブログは只今のんびり作成中です。
2011年06月21日
仏像パワーに引き寄せられて 静岡仏女の奈良の旅コース
静岡から奈良へ。
休日を使った1泊二日奈良の旅です。
当日は、朝5時起きで、奈良へ向います。
こんな早起き何年ぶりだろう。
休日はだらだらしている私が、目はぱっちり、スピーディに行動している。
私をここまでさせる、奈良、仏像恐るべし
静岡駅より新幹線にて京都を経由し、みやこ路快速に乗り換え奈良へ一直線



奈良までに体力温存する為、旅路は、眠っていこうと決めましたが、
結局子供のようにガイドブックや、お寺情報をチェックする私。
途中で寝るのはあきらめ、とにかく奈良に思いを馳せていました。
奈良到着
きらり~ん

今回は、学生時代からの大阪の友人が一緒に旅してくれます。
友人は仏像愛好家ではない為、つき合わせてよいのだろうかと考えましたが、仏像見てテンションを上げる私を見たいと言ってくれる寛大な友人
感謝です
感受性のある友達なので
仏像の解釈にも期待!
待ち合わせ時間まで、ツイッターの仏像仲間の方にお教えいただいた「ウガヤゲストハウス」さんへ

http://www.ugaya.net/ja/index.html
ゲストハウスですが、カフェも営業されていて
カフェ営業時間であれば、仏像ノートを拝見させていただけるようです。
(書き込みがされていて、自分も書き込みできます。感極まりながら拝読
)
そうこうしているうちに、友人に無事会え奈良の仏像めぐりの始まりです。
コースです。
一日目
興福寺
↓
奈良公園 (鹿と戯れる)
↓
東大寺
↓
山門 (金剛力士像)
↓
戒壇堂
↓
法華堂
↓
奈良国立博物館
二日目
新薬師寺
↓
入江泰吉記念館・奈良写真館
↓
帰途
ゆっくりしたコースとなりました
予想通りですが、仏像に夢中になり時間をかけすぎてしまった。

しかしながら、仏像に欲をかいてはいけません。
大満足の旅となりました
奈良は、食文化も素晴らしいことに気付かされました。ラーメンも有名だったのですね!
友人から、ツイッターから、情報をいただいて素敵なグルメもいただきましたよ~。

詳細はまた、ゆっくり更新していきたいと思います
休日を使った1泊二日奈良の旅です。

当日は、朝5時起きで、奈良へ向います。
こんな早起き何年ぶりだろう。
休日はだらだらしている私が、目はぱっちり、スピーディに行動している。
私をここまでさせる、奈良、仏像恐るべし

静岡駅より新幹線にて京都を経由し、みやこ路快速に乗り換え奈良へ一直線




奈良までに体力温存する為、旅路は、眠っていこうと決めましたが、
結局子供のようにガイドブックや、お寺情報をチェックする私。
途中で寝るのはあきらめ、とにかく奈良に思いを馳せていました。
奈良到着


今回は、学生時代からの大阪の友人が一緒に旅してくれます。
友人は仏像愛好家ではない為、つき合わせてよいのだろうかと考えましたが、仏像見てテンションを上げる私を見たいと言ってくれる寛大な友人

感謝です

仏像の解釈にも期待!
待ち合わせ時間まで、ツイッターの仏像仲間の方にお教えいただいた「ウガヤゲストハウス」さんへ


http://www.ugaya.net/ja/index.html
ゲストハウスですが、カフェも営業されていて
カフェ営業時間であれば、仏像ノートを拝見させていただけるようです。
(書き込みがされていて、自分も書き込みできます。感極まりながら拝読

そうこうしているうちに、友人に無事会え奈良の仏像めぐりの始まりです。
コースです。


興福寺
↓
奈良公園 (鹿と戯れる)
↓
東大寺
↓
山門 (金剛力士像)
↓
戒壇堂
↓
法華堂
↓
奈良国立博物館


新薬師寺
↓
入江泰吉記念館・奈良写真館
↓
帰途
ゆっくりしたコースとなりました

予想通りですが、仏像に夢中になり時間をかけすぎてしまった。

しかしながら、仏像に欲をかいてはいけません。
大満足の旅となりました

奈良は、食文化も素晴らしいことに気付かされました。ラーメンも有名だったのですね!
友人から、ツイッターから、情報をいただいて素敵なグルメもいただきましたよ~。

詳細はまた、ゆっくり更新していきたいと思います

2011年06月10日
美しい阿弥陀如来像 成福寺
伊豆箱根鉄道韮山駅より歩いて10分ほどのところに
浄土真宗 大谷派 成福寺があります。
本山 京都東本願寺派に属します。
鎌倉時代八第執権北条時宗の三男の北条正宗入道が、1289年に建立したと言われています。
北条正宗は、韮山の地で曽祖父北条時政の持仏堂を元に成福寺を建立しました。
以来、北条氏の血脈保ち現在に至っているそうです。

本堂です。
平成元年に建てられたそうです。
江戸時代後期に建てられたそれまでの本堂は改造され客殿となっているそうです。
立派なお堂だなあと見ていると、中にいらっしゃた女性の方が「どうぞ上がってください。」とやさしくお声かけくださり、本堂に上がらせていただきました。
ご住職様が本堂にいらっしゃり、阿弥陀如来様のお話、お寺のお話を丁寧にお聞かせくださいました。
ご住職様と女性の方のやさしさが今でも印象に残っています
親切にしていただきありがとうございました
本尊 阿弥陀如来 木造寄木漆箔 鎌倉時代造


バランスよくとても綺麗な阿弥陀如来様です。
お顔はやさしいけれど、肉づきのよい体格です。
浄土真宗の立像の阿弥陀如来様
歩み寄ってくださっているような、すぐに救いに来てくださるように立っていらっしゃるのだなと感じます。
住職様に、他にはどちらのお寺に行かれましたかと聞かれ、
願成就院のお話をすると、毘沙門天が素晴らしいというお話になりました
よくよく考えてみると、ご住職様は、北条氏の血脈。
すごいことです
帰る際、ご住職が書かれている成福寺の寺報をいただきました。
素敵な阿弥陀如来三尊像の法話が掲載されていました。
(阿弥陀三尊像とは、極楽浄土に連れて行ってくださる阿弥陀如来様と、右側に慈悲の観音菩薩、
左側に智恵の勢至菩薩という三つの仏様が並びます。)
東日本大震災の際沢山流れた、ACジャパンのCMと、阿弥陀三尊像を結びつけて法話をされています。
金子みすずの「こだまでしょうか」は、慈悲の観音菩薩様の「同悲」「同苦」を表している。
悲しむ人と同じ悲しみを私たちに感じさせ、同じ苦しみを抱いてその人に寄り添うことで救おうとすること。
震災で被害にあった方のことを思うとき、その境遇ではない私たちが胸を痛めること。
これは観音菩薩の慈悲の心が自分に同化した時に感じる心なのだと書かれています。
宮沢章二の「心は見えないけれど」は勢至菩薩の働きである。心で寄り添うだけで終わらず、迷いと争い苦しみから智恵をもって救い正しい行いをさせるのが勢至菩薩様。被災地の方に自分のことのように悲しみを感じて何かせずに入れない気持ち。ボランティアや義捐金という行為を起こすことそれは
勢至菩薩の力が私たちを動かしたのだと言います。
そして阿弥陀如来様は、どんな人も見捨てない仏様なのです。絶望したとしても、くじけたとしても絶対に、「私を呼びなさい私はあなたを必ず救う」と導いてくれる仏様だと書かれています。
人の中にも、自分自身にも 仏は存在するのですね。
人と接するとき、相手の人の仏探しをするようにしてみよう
今よりもっと素敵になるのだなと感じました。
韮山の仏像めぐりの旅は成福寺で終了です。楽しくうれしい旅となりました。

成福寺 静岡県伊豆の国市四日町981
浄土真宗 大谷派 成福寺があります。
本山 京都東本願寺派に属します。
鎌倉時代八第執権北条時宗の三男の北条正宗入道が、1289年に建立したと言われています。
北条正宗は、韮山の地で曽祖父北条時政の持仏堂を元に成福寺を建立しました。
以来、北条氏の血脈保ち現在に至っているそうです。

本堂です。

江戸時代後期に建てられたそれまでの本堂は改造され客殿となっているそうです。
立派なお堂だなあと見ていると、中にいらっしゃた女性の方が「どうぞ上がってください。」とやさしくお声かけくださり、本堂に上がらせていただきました。
ご住職様が本堂にいらっしゃり、阿弥陀如来様のお話、お寺のお話を丁寧にお聞かせくださいました。
ご住職様と女性の方のやさしさが今でも印象に残っています

親切にしていただきありがとうございました

本尊 阿弥陀如来 木造寄木漆箔 鎌倉時代造


バランスよくとても綺麗な阿弥陀如来様です。
お顔はやさしいけれど、肉づきのよい体格です。
浄土真宗の立像の阿弥陀如来様

住職様に、他にはどちらのお寺に行かれましたかと聞かれ、
願成就院のお話をすると、毘沙門天が素晴らしいというお話になりました

よくよく考えてみると、ご住職様は、北条氏の血脈。
すごいことです

帰る際、ご住職が書かれている成福寺の寺報をいただきました。
素敵な阿弥陀如来三尊像の法話が掲載されていました。
(阿弥陀三尊像とは、極楽浄土に連れて行ってくださる阿弥陀如来様と、右側に慈悲の観音菩薩、
左側に智恵の勢至菩薩という三つの仏様が並びます。)
東日本大震災の際沢山流れた、ACジャパンのCMと、阿弥陀三尊像を結びつけて法話をされています。
金子みすずの「こだまでしょうか」は、慈悲の観音菩薩様の「同悲」「同苦」を表している。
悲しむ人と同じ悲しみを私たちに感じさせ、同じ苦しみを抱いてその人に寄り添うことで救おうとすること。
震災で被害にあった方のことを思うとき、その境遇ではない私たちが胸を痛めること。
これは観音菩薩の慈悲の心が自分に同化した時に感じる心なのだと書かれています。
宮沢章二の「心は見えないけれど」は勢至菩薩の働きである。心で寄り添うだけで終わらず、迷いと争い苦しみから智恵をもって救い正しい行いをさせるのが勢至菩薩様。被災地の方に自分のことのように悲しみを感じて何かせずに入れない気持ち。ボランティアや義捐金という行為を起こすことそれは
勢至菩薩の力が私たちを動かしたのだと言います。
そして阿弥陀如来様は、どんな人も見捨てない仏様なのです。絶望したとしても、くじけたとしても絶対に、「私を呼びなさい私はあなたを必ず救う」と導いてくれる仏様だと書かれています。
人の中にも、自分自身にも 仏は存在するのですね。

人と接するとき、相手の人の仏探しをするようにしてみよう

韮山の仏像めぐりの旅は成福寺で終了です。楽しくうれしい旅となりました。

成福寺 静岡県伊豆の国市四日町981
2011年06月08日
恋しちゃった仏像 武士の願いと運慶仏 願成就院
韮山駅から徒歩15分ほどの場所に
高野山真言宗 願成就院(がんじょうじゅいん)があります。

寺伝によると、奈良時代729年、聖武天皇の天平元年に創立されたと伝えられますが、
鎌倉時代の「吾妻鏡」からは、1189年、北条政子の父、鎌倉幕府初代執権北条時政公が
源頼朝の藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立されたとのことです。北条氏の寺として、二代執権北条義時公、三代執権北条泰時公の三代にわたり、次々に堂塔が建立され
繁栄を極めました
しかしこうした繁栄も兵火にみまわれ衰退してゆきます。
江戸時代に、荒廃を嘆いた、北条美濃守氏貞が仏像等の修復を行い、昭和三十年以降に、
文化財の保護の浄業として大御堂が再建され今日に至っています。
門に掲げられた願成就院の文字を見るだけで鳥肌もの
こちらのお寺の見所はなんといっても運慶仏に逢えることです。
(※運慶とは、日本彫刻史上最大の仏像作家の一人と言われる人物です。東大寺南大門の金剛力士像、円成寺の大日如来など)
心地いい緊張感を感じながら、ご住職様にお堂へ案内していただきます。
ドーン
お堂を入った瞬間、ものすごい勢いで、三体の仏像が目に飛び込んできます。
左に不動三尊、真ん中に阿弥陀如来、右に毘沙門天
言葉にうまくできないけど、かなりの感動ものです。
しばらく硬直状態です。
(仏像等は、お写真は撮れません。)
重要文化財 阿弥陀如来坐像
寄木造 像高143センチ運慶作と言われる。
バランスよく安定感があり、そして胸板ー!厚い!!!
お顔はとってもやさしい慈悲に満ち溢れています。
手が欠失していることに気付き、住職さんに尋ねると、こちらはもともと説法印という印を結んでいたのだそう。阿弥陀様は来迎印や定印が多く見られる中で、説法印の阿弥陀様は9世紀前に多く見られたそうです。
古代彫刻を手本にし、鎌倉時代の新しい要素を入れてつくられたのだそうです。
こちらの印は修復可能ですが、今のままで美しいので修復はしないそうです。
それにしても、男性的ではつらつとした仏様!
武士好みですよね。
重要文化財 毘沙門天像
鎌倉初期 寄木造 像高147センチ 運慶作
仏法の守護神四天王の一人でもある毘沙門天(四天王では北を守る多聞天と呼ばれます。)
鎧に身を固めた毘沙門天様。武士の姿なのでしょうか?
今にも動き出しそうな勢いです。
動の仏様を絶妙なバランスで見事に表現している。運慶は天才です。
良く見える位置まで移動してみると、目が合う位置があります
きゃっ
抱きつきたい~!踏まれている邪気がうらやましい
仏像というより人を見ている感覚に。
2度見どころか、10度見。
しかしながら、毘沙門天様には、吉祥天という奥様がいらっしゃいます。
私の恋は失恋です。
美しくやさしい、吉祥天ならば仕方が無い
重要文化財 不動明王像
鎌倉初期 寄木造 像高136.5センチ 運慶作
こちらの不動明王像もいかり肩に、胸板厚い!
かっこいい仏様です。こんな怒り顔でにらまれたら、仏敵も、煩悩も、邪悪な心もぶっとびます。
頭髪のくねくね具合がおしゃれです。
生きてる?と錯覚します
重要文化財 矜羯羅童子(こんがらどうじ)
鎌倉初期 寄木造 像高78センチ 運慶作
重要文化財 制吐迦童子(せいたかどうじ)
鎌倉初期 寄木造 像高82.6センチ 運慶作
愛嬌のある仏像は不動明王の脇侍であります。
矜羯羅童子は少女を思わせる姿で静、制吐迦童子は男の子を思わせる姿で動。
この対照的な表現がまた素敵です。
一度見たら忘れられないお顔!


書籍 願成就院 より
矜羯羅童子 私似てるかも
←恐れ多いのですが。
毘沙門天、不動三尊象は胎内に入っていた、銘札より運慶の35歳の頃の真作ということが証明されました。
運慶様式の成立を考える上で、この壮年期の運慶の仏像は大変貴重であり、大きな意義があります
宝物館で銘札を見ることができます。
宝物館には、政子地蔵菩薩を拝見することができます。生前の北条政子をたくみに表現した像。
北条泰時が、北条政子の7回忌に奉納したそうです。
ひきしまっていて美しい仏様です。
雨のせいか、願成就院には、私一人。
独占状態でとても贅沢な時間を過ごしました
ご住職様に、願成就院の歴史や、辺りの歴史などを丁寧に教えていただき穏やかな時間が過ぎました。
ありがとうございました
受付でこんな本を購入しました。
願成就院の創建と歴史についてや、諸仏についての学説などが書かれており興味深いです。

歴史には、寺には、必ず人の心や願いがつきものです。
武士が願ったこと、好むもの、大切にしたもの。こちらのお寺では、沢山の思いが詰め込まれている気がしました。
こちらのお寺には、女性が最近良く来るようになったとのことです。
きっと、こちらの毘沙門天に恋してしまった人は
私だけでないはず
今回お写真を掲載できませんでしたが、
伊豆の国市観光協会、ホームページに、願成就院の運慶仏のお写真が掲載されています。
http://www.izunotabi.com/jpn/see/2009/03/-1-54.html
願成就院 静岡県伊豆の国市寺家83-1
高野山真言宗 願成就院(がんじょうじゅいん)があります。

寺伝によると、奈良時代729年、聖武天皇の天平元年に創立されたと伝えられますが、
鎌倉時代の「吾妻鏡」からは、1189年、北条政子の父、鎌倉幕府初代執権北条時政公が
源頼朝の藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立されたとのことです。北条氏の寺として、二代執権北条義時公、三代執権北条泰時公の三代にわたり、次々に堂塔が建立され
繁栄を極めました

しかしこうした繁栄も兵火にみまわれ衰退してゆきます。
江戸時代に、荒廃を嘆いた、北条美濃守氏貞が仏像等の修復を行い、昭和三十年以降に、
文化財の保護の浄業として大御堂が再建され今日に至っています。
門に掲げられた願成就院の文字を見るだけで鳥肌もの

こちらのお寺の見所はなんといっても運慶仏に逢えることです。
(※運慶とは、日本彫刻史上最大の仏像作家の一人と言われる人物です。東大寺南大門の金剛力士像、円成寺の大日如来など)
心地いい緊張感を感じながら、ご住職様にお堂へ案内していただきます。
ドーン

お堂を入った瞬間、ものすごい勢いで、三体の仏像が目に飛び込んできます。
左に不動三尊、真ん中に阿弥陀如来、右に毘沙門天
言葉にうまくできないけど、かなりの感動ものです。
しばらく硬直状態です。
(仏像等は、お写真は撮れません。)
重要文化財 阿弥陀如来坐像
寄木造 像高143センチ運慶作と言われる。
バランスよく安定感があり、そして胸板ー!厚い!!!
お顔はとってもやさしい慈悲に満ち溢れています。
手が欠失していることに気付き、住職さんに尋ねると、こちらはもともと説法印という印を結んでいたのだそう。阿弥陀様は来迎印や定印が多く見られる中で、説法印の阿弥陀様は9世紀前に多く見られたそうです。
古代彫刻を手本にし、鎌倉時代の新しい要素を入れてつくられたのだそうです。
こちらの印は修復可能ですが、今のままで美しいので修復はしないそうです。
それにしても、男性的ではつらつとした仏様!
武士好みですよね。
重要文化財 毘沙門天像
鎌倉初期 寄木造 像高147センチ 運慶作
仏法の守護神四天王の一人でもある毘沙門天(四天王では北を守る多聞天と呼ばれます。)
鎧に身を固めた毘沙門天様。武士の姿なのでしょうか?
今にも動き出しそうな勢いです。
動の仏様を絶妙なバランスで見事に表現している。運慶は天才です。
良く見える位置まで移動してみると、目が合う位置があります


抱きつきたい~!踏まれている邪気がうらやましい
仏像というより人を見ている感覚に。
2度見どころか、10度見。
しかしながら、毘沙門天様には、吉祥天という奥様がいらっしゃいます。
私の恋は失恋です。
美しくやさしい、吉祥天ならば仕方が無い

重要文化財 不動明王像
鎌倉初期 寄木造 像高136.5センチ 運慶作
こちらの不動明王像もいかり肩に、胸板厚い!
かっこいい仏様です。こんな怒り顔でにらまれたら、仏敵も、煩悩も、邪悪な心もぶっとびます。
頭髪のくねくね具合がおしゃれです。
生きてる?と錯覚します

重要文化財 矜羯羅童子(こんがらどうじ)
鎌倉初期 寄木造 像高78センチ 運慶作
重要文化財 制吐迦童子(せいたかどうじ)
鎌倉初期 寄木造 像高82.6センチ 運慶作
愛嬌のある仏像は不動明王の脇侍であります。
矜羯羅童子は少女を思わせる姿で静、制吐迦童子は男の子を思わせる姿で動。
この対照的な表現がまた素敵です。
一度見たら忘れられないお顔!

書籍 願成就院 より
矜羯羅童子 私似てるかも

毘沙門天、不動三尊象は胎内に入っていた、銘札より運慶の35歳の頃の真作ということが証明されました。
運慶様式の成立を考える上で、この壮年期の運慶の仏像は大変貴重であり、大きな意義があります

宝物館で銘札を見ることができます。
宝物館には、政子地蔵菩薩を拝見することができます。生前の北条政子をたくみに表現した像。
北条泰時が、北条政子の7回忌に奉納したそうです。
ひきしまっていて美しい仏様です。
雨のせいか、願成就院には、私一人。
独占状態でとても贅沢な時間を過ごしました

ご住職様に、願成就院の歴史や、辺りの歴史などを丁寧に教えていただき穏やかな時間が過ぎました。
ありがとうございました

受付でこんな本を購入しました。
願成就院の創建と歴史についてや、諸仏についての学説などが書かれており興味深いです。
歴史には、寺には、必ず人の心や願いがつきものです。
武士が願ったこと、好むもの、大切にしたもの。こちらのお寺では、沢山の思いが詰め込まれている気がしました。
こちらのお寺には、女性が最近良く来るようになったとのことです。
きっと、こちらの毘沙門天に恋してしまった人は
私だけでないはず

今回お写真を掲載できませんでしたが、
伊豆の国市観光協会、ホームページに、願成就院の運慶仏のお写真が掲載されています。
http://www.izunotabi.com/jpn/see/2009/03/-1-54.html
願成就院 静岡県伊豆の国市寺家83-1
2011年06月06日
美しく悲しい恋のお話 真珠院
伊豆韮山仏像巡り
韮山駅から徒歩20分の場所に、
曹洞宗 真珠院があります。

真珠院は、鎌倉時代に真言宗の寺として開創され、室町時代に曹洞宗に改宗されたとのことです。近隣の寺を末寺として取り込み壮大な寺院に発展しました。
本尊は釈迦無尼仏、脇立として、阿難尊者、迦葉尊者の二仏が安置されています。
左右に永平寺御開山高祖 道元禅師、総持寺御開山大祖 ケイ山禅師を祀ってあり、
達磨大師、十六羅漢像が安置されているそうです。
残念ながら、拝見することができませんでしたが、とても立派な本堂です。

ところで、真珠院というお名前
清楚で素敵なお名前ですよね
こちらのお寺には、この名前のような、美しく悲しい恋のお話があります。
【伊東八重姫入水の地】
伊豆に流されていた頼朝は、八重姫との間に一子「千鶴丸」をもうけます。
八重姫の父伊東祐親の怒りにあい、千鶴丸は源平相剋のいけにえにされます。
頼朝は、北条時政のもとに逃れます。
頼朝を忘れられない八重姫は、意を決して、頼朝に会うため伊東の館を抜け出し、亀石峠の難路を通り、北条時政の館を訪ねるのだが、頼朝は、時政の娘政子と結ばれていた。
八重姫は、幽閉の身であったため帰る場所がなく、真珠ヶ淵の渦巻く流れの中に身を投げました。
真珠院には、八重姫御堂(静堂)、梯子供養(八重姫が入水した際、せめて梯子があれば助かったかもしれないという気持ちが、願い事が叶った際、梯子を供える習慣)、願かけ石(自分の歳だけ石をたたくと願い事が叶う)など、このお話にまつわる信仰が残されています。
このような、信仰が生まれるということ。
昔の人の気持ちや純粋さを感じ、清々しい
思いです。
鎌倉時代、戦に赴く男性はもちろん、女性も激しい時代だったはずです。
強く生きること、潔く生きること。
今では想像できないくらい壮絶だったのでしょう
そんなことを思って、静かな真珠院をあとにしました。
真珠院境内には1302(正安4)年銘の定仙大和尚塔、
1335(建武2)年銘の宝篋院塔と五輪塔、
1363(貞治2)年銘の阿弥陀如来磨崖仏が残されています。
北条氏ゆかりの史跡をまわり、鎌倉時代の風を感じながら、訪れていただきたい素敵なお寺です。

幾度か流れを変えた狩野川。自然に囲まれた美しい川です。
真珠院 伊豆の国市中条2
韮山駅から徒歩20分の場所に、
曹洞宗 真珠院があります。

真珠院は、鎌倉時代に真言宗の寺として開創され、室町時代に曹洞宗に改宗されたとのことです。近隣の寺を末寺として取り込み壮大な寺院に発展しました。
本尊は釈迦無尼仏、脇立として、阿難尊者、迦葉尊者の二仏が安置されています。
左右に永平寺御開山高祖 道元禅師、総持寺御開山大祖 ケイ山禅師を祀ってあり、
達磨大師、十六羅漢像が安置されているそうです。
残念ながら、拝見することができませんでしたが、とても立派な本堂です。

ところで、真珠院というお名前
清楚で素敵なお名前ですよね

こちらのお寺には、この名前のような、美しく悲しい恋のお話があります。
【伊東八重姫入水の地】
伊豆に流されていた頼朝は、八重姫との間に一子「千鶴丸」をもうけます。
八重姫の父伊東祐親の怒りにあい、千鶴丸は源平相剋のいけにえにされます。
頼朝は、北条時政のもとに逃れます。
頼朝を忘れられない八重姫は、意を決して、頼朝に会うため伊東の館を抜け出し、亀石峠の難路を通り、北条時政の館を訪ねるのだが、頼朝は、時政の娘政子と結ばれていた。
八重姫は、幽閉の身であったため帰る場所がなく、真珠ヶ淵の渦巻く流れの中に身を投げました。
真珠院には、八重姫御堂(静堂)、梯子供養(八重姫が入水した際、せめて梯子があれば助かったかもしれないという気持ちが、願い事が叶った際、梯子を供える習慣)、願かけ石(自分の歳だけ石をたたくと願い事が叶う)など、このお話にまつわる信仰が残されています。
このような、信仰が生まれるということ。
昔の人の気持ちや純粋さを感じ、清々しい
思いです。
鎌倉時代、戦に赴く男性はもちろん、女性も激しい時代だったはずです。
強く生きること、潔く生きること。
今では想像できないくらい壮絶だったのでしょう

そんなことを思って、静かな真珠院をあとにしました。
真珠院境内には1302(正安4)年銘の定仙大和尚塔、
1335(建武2)年銘の宝篋院塔と五輪塔、
1363(貞治2)年銘の阿弥陀如来磨崖仏が残されています。
北条氏ゆかりの史跡をまわり、鎌倉時代の風を感じながら、訪れていただきたい素敵なお寺です。

幾度か流れを変えた狩野川。自然に囲まれた美しい川です。
真珠院 伊豆の国市中条2
2011年06月02日
すがりつきたくなる仏様と穏やかな仏様 北條寺
伊豆箱根鉄道韮山駅から徒歩20分の場所に
臨済宗 北條寺 があります。

鎌倉幕府創立に功労のあった、北条時政の子息北条義時が創建したお寺です。
狩野川は、流れを変えており、今の場所より東にあったそうです。
北条時政と義時との屋敷は近く、願成就院と北条寺も近くに在ったそうです。
拝観予約をした時間よりもとても早く到着してしまい、境内をうろうろしていたのですが、
私に気づいてくださり、ご住職様が丁寧に、お話をしてくださいました。
奥様もとても丁寧に対応してくださいました。
心から感謝です
こちらのお堂には、楽しみにしていた仏様がいらっしゃいますワクワクどきどき

木造阿弥陀如来坐像 静岡県指定文化財 国重要美術品
像高66.7センチ 桧材寄木造り 鎌倉時代作

北条義時の嫡子安千代が、大池で大蛇に襲われて命を失った時、北条寺を墓所とし、
七堂伽藍を建立し、仏像の本尊を仏師運慶に命じて作らせた。
運慶が3年がかりで一刀三札
金泥細金の彩色を施し3年かかって完成したそうです。
とても安定したバランスのいい素敵な阿弥陀様です。
目の部分は玉眼
遠くをしっかりと見ている目の表情が、とても印象的です。
鎌倉時代から、長い間この場所で、世の中を見てきたのでしょうか?
変わらずに見守ってくださっているのかと思うと。
すがりつきたくなります
仏像はガラスケースの中に安置のため、心ですがりつきます。
(※すがりつける場所にあったとしても仏像にはすがりついてはダメです)
仏像は鎌倉時代作ですが、光背、台座は江戸時代に作られたものだそうです。
光背や台座は、江戸時代に流行した、観音巡りの際、仏様をより良く見せる為に
各寺で作られることが多かったのだとお話されました。
現代的なお話だなと思います

木造観音菩薩
像高 50センチ弱 桂 寄木造り 南北朝時代作

遊戯(ゆげ)坐像という宋の様式を取り入れた仏様です。
鎌倉の東慶寺の水月観音様と同じ様式です。
鎌倉で何体か作られたという遊戯(ゆげ)坐像
日本には5~6体しかない貴重な仏像だお話していただきました。
鎌倉という地が、積極的に宋の文化を取り入れた為と言われています。
それにしても奥ゆかしい
お顔は宋の影響が感じられる西洋的な端整なお顔です。
ながれるような穏かな。そしてくつろいでいる
おとなりの阿弥陀様は遠くをかっと見ているのに対して
観音様はゆったりと、近くを温かく見守ってくれているという感じがします。
知的な感じ。
こんな仏様が家にいらっしゃったら、会社にいらっしゃったら。
いいなあ
ニタニタ
そして北条政子が中国に作らせ北条寺に寄進したとされる
牡丹鳥文繍帳を見せてくださいました。
牡丹の花、果樹、孔雀などの鳥獣が美しく刺繍されています。
お写真は北条寺でいただいた、資料に掲載されているものです。
とっても綺麗。鎌倉時代に刺繍されたものなのに、美しいまま、
鮮やかに残されています。

綺麗~
目を輝かせていると、
女性はこういうの好きだと思ってとご住職様
おやさしい心遣い本当にありがとうございます。
北条寺は、静かでとても美しいお寺です

山を上ると、北条義時夫妻のお墓が在りますよとお教えいただき、階段をのぼります。
階段を上ると、静かな場所にお墓がありました。
生誕の地で、穏やかに、時をすごしている様に感じました。

北条寺 静岡県伊豆の国市南江間862-1
臨済宗 北條寺 があります。

鎌倉幕府創立に功労のあった、北条時政の子息北条義時が創建したお寺です。
狩野川は、流れを変えており、今の場所より東にあったそうです。
北条時政と義時との屋敷は近く、願成就院と北条寺も近くに在ったそうです。
拝観予約をした時間よりもとても早く到着してしまい、境内をうろうろしていたのですが、
私に気づいてくださり、ご住職様が丁寧に、お話をしてくださいました。
奥様もとても丁寧に対応してくださいました。
心から感謝です

こちらのお堂には、楽しみにしていた仏様がいらっしゃいますワクワクどきどき


木造阿弥陀如来坐像 静岡県指定文化財 国重要美術品
像高66.7センチ 桧材寄木造り 鎌倉時代作

北条義時の嫡子安千代が、大池で大蛇に襲われて命を失った時、北条寺を墓所とし、
七堂伽藍を建立し、仏像の本尊を仏師運慶に命じて作らせた。
運慶が3年がかりで一刀三札
金泥細金の彩色を施し3年かかって完成したそうです。
とても安定したバランスのいい素敵な阿弥陀様です。
目の部分は玉眼

遠くをしっかりと見ている目の表情が、とても印象的です。
鎌倉時代から、長い間この場所で、世の中を見てきたのでしょうか?
変わらずに見守ってくださっているのかと思うと。
すがりつきたくなります

仏像はガラスケースの中に安置のため、心ですがりつきます。
(※すがりつける場所にあったとしても仏像にはすがりついてはダメです)
仏像は鎌倉時代作ですが、光背、台座は江戸時代に作られたものだそうです。
光背や台座は、江戸時代に流行した、観音巡りの際、仏様をより良く見せる為に
各寺で作られることが多かったのだとお話されました。
現代的なお話だなと思います


木造観音菩薩
像高 50センチ弱 桂 寄木造り 南北朝時代作

遊戯(ゆげ)坐像という宋の様式を取り入れた仏様です。
鎌倉の東慶寺の水月観音様と同じ様式です。
鎌倉で何体か作られたという遊戯(ゆげ)坐像
日本には5~6体しかない貴重な仏像だお話していただきました。
鎌倉という地が、積極的に宋の文化を取り入れた為と言われています。

それにしても奥ゆかしい

お顔は宋の影響が感じられる西洋的な端整なお顔です。
ながれるような穏かな。そしてくつろいでいる
おとなりの阿弥陀様は遠くをかっと見ているのに対して
観音様はゆったりと、近くを温かく見守ってくれているという感じがします。
知的な感じ。
こんな仏様が家にいらっしゃったら、会社にいらっしゃったら。
いいなあ

ニタニタ

そして北条政子が中国に作らせ北条寺に寄進したとされる
牡丹鳥文繍帳を見せてくださいました。
牡丹の花、果樹、孔雀などの鳥獣が美しく刺繍されています。
お写真は北条寺でいただいた、資料に掲載されているものです。
とっても綺麗。鎌倉時代に刺繍されたものなのに、美しいまま、
鮮やかに残されています。
綺麗~

女性はこういうの好きだと思ってとご住職様
おやさしい心遣い本当にありがとうございます。

北条寺は、静かでとても美しいお寺です


山を上ると、北条義時夫妻のお墓が在りますよとお教えいただき、階段をのぼります。
階段を上ると、静かな場所にお墓がありました。
生誕の地で、穏やかに、時をすごしている様に感じました。


北条寺 静岡県伊豆の国市南江間862-1