2011年06月24日
清々しく美しい歴史の宝箱 由比 本光寺
JR由比駅から、徒歩で約25分程の場所に
日蓮宗 本光寺 があります。
驚くほど沢山の、歴史がある素晴らしいお寺です。

日蓮上人の直弟子、六老僧白蓮阿闍梨日興を開基となし、日興のご母堂、妙福尊尼菩提のため、
元弘元(1331)年に創立されました。
当初は清水区蒲原の慶徳にあり慶徳寺と呼ばれていました。
武田信玄の侵略により蒲原城が落城した際、慶徳寺も兵火により焼失したそうです。
永禄13(1570)年、現在地由比に復興し本光寺と改めたそうです。
ご縁があり、ご住職にお話を伺える機会をいただきました。
とても丁寧に対応いただき、この場をお借りして、御礼申し上げます
ありがとうございました。
山門の金剛力士像近くで拝見できる場所にいらっしゃいます

ものすごい迫力!この迫力では、寺に仏敵が入り込むことなどまずないでしょう。
興奮しながら、かぶりつきで見ている私。
寺の守護神もあきれているのかも。
この大きな手で、跳ね除けられなくてよかった
この筋肉。そして躍動感!

足もたくましいですね

東海七福神殿
七福神が七体おそろいでおまつりされています。
一木造りの七福神。写真では伝わりにくいですが、
大きさに圧倒されます!しかも7体!
実物を是非御覧いただきたいです!!!

とても贅沢な気分

美しい弁財天様

やっぱり素敵!毘沙門天様
2体の邪鬼の表情がまた味があります。

坂をのぼっていくと、願満朝日日蓮堂があります。
日蓮上人の若き32才のお姿、「朝日の祖師」が祀られています。
合わせた手の力強さが印象的です。
裸形着装像のように見えましたが、聞き忘れた・・・。今度うかがってみます。
加藤清正の清正公像もいらっしゃいます。
勝負祈願の信仰でしょうか?
日蓮堂の傍には、薩埵峠(さったとうげ)の戦いに関係した石塔がありました。
浄瑠璃殿
浄瑠璃姫を供養している塔
悲恋のお話から、縁結びのご利益に結びついた由来があります。

浄瑠璃姫伝説
浄瑠璃姫は、尾張の国矢作の長者の娘です。
(日頃から信仰していた薬師浄瑠光如来にお願いして授かった子で有る為浄瑠璃姫と言うそうです。)
美しく育った浄瑠璃姫は、矢作の長者の家に泊まった、義経と恋に落ちます
義経は、鎌倉へ旅立つのですが、一途に恋した浄瑠璃姫は、義経の後を追い、
富士川のあたりまで追いかけたのですが、川の増水でと旅の疲れで、蒲原の地で亡くなったそうです。
本光寺の前身慶徳寺が、蒲原の光蓮寺に、浄瑠璃姫の位牌を引き継ぎ、供養されています。
この悲恋の物語は、後に、浄瑠璃御膳物語として、民衆に受け入れられます。
浄瑠璃伝説は、蒲原の地で亡くなったというお話以外に、川に身を投げたなどというお話もあります。
ザ、乙女心
グッときた!
そういえば伊豆韮山の真珠院でも、頼朝に関する悲恋のお話があった
源兄弟ってモテすぎではなかろうか?
殿には、阿弥陀三尊像のように見える三体の像。近づいてよく拝見すると
中心は、浄瑠璃姫の像です
薄紅をひいたやさしい口元、少女のようでいて意志のあるお顔。やさしい美しい癒されます
浄瑠璃姫像べっぴんさんすぎる。
私が男性だったら恋していると思う。
現在は、縁結びの信仰があり密かに訪れる方がいらっしゃるそうです。
一途な乙女心を思い出したい方も是非~←私の事ですがなにか?
羅漢堂

今にも動き出しそうな十六羅漢像が安置されています。
表情といい、なんとも圧倒される羅漢像
それにしても美しい自然に囲まれたお寺です。
マイナスイオンたっぷり

山を登りきった、最高のロケーションに、日蓮上人像が!

世界を力強い眼差しで見つめているようです。
手にも力がこもっています!
私たちを励ましてくださっているのかな。
着いて来いタイプ
「着いていきます!」と言ってしまいそうになる。
ご住職のお話の中に、本来の仏教は 「宗教」ではなく、「宗道」であるというお話があり
ました。
道とは道徳の道ということであり、宗教という枠にこだわらない生き方を説かれています。
「幸せになる為には、神様や仏様にすがったりするよりも、大自然のルールにふさわしい生き方を心がけ
実践する自分自身をたよりにしたほうが確実である」自灯明、法灯明と言うそうです。
仏様は、願う対象ではなく、成長する私たちを、一緒に励まし、寄り添ってくれる存在なのですね。
ご住職がとても素敵なお人柄であり、「宗道」の生き方のお話が、すんなり私のこころに響きました。
境内の自然とロケーションと仏様も影響しているのでしょう。


こちらの日蓮上人像の清々しい表情が理解できました。
思わず本光寺というストーリーに入り込んでしまっている私に、気付きました。

本光寺のホームページに 詳しい内容が記載されています。
http://yui-honkouji.com/
☆奈良の仏像巡りコースブログは只今のんびり作成中です。
日蓮宗 本光寺 があります。
驚くほど沢山の、歴史がある素晴らしいお寺です。

日蓮上人の直弟子、六老僧白蓮阿闍梨日興を開基となし、日興のご母堂、妙福尊尼菩提のため、
元弘元(1331)年に創立されました。
当初は清水区蒲原の慶徳にあり慶徳寺と呼ばれていました。
武田信玄の侵略により蒲原城が落城した際、慶徳寺も兵火により焼失したそうです。
永禄13(1570)年、現在地由比に復興し本光寺と改めたそうです。
ご縁があり、ご住職にお話を伺える機会をいただきました。
とても丁寧に対応いただき、この場をお借りして、御礼申し上げます

山門の金剛力士像近くで拝見できる場所にいらっしゃいます


ものすごい迫力!この迫力では、寺に仏敵が入り込むことなどまずないでしょう。
興奮しながら、かぶりつきで見ている私。
寺の守護神もあきれているのかも。
この大きな手で、跳ね除けられなくてよかった

この筋肉。そして躍動感!

足もたくましいですね


東海七福神殿
七福神が七体おそろいでおまつりされています。
一木造りの七福神。写真では伝わりにくいですが、
大きさに圧倒されます!しかも7体!
実物を是非御覧いただきたいです!!!

とても贅沢な気分


美しい弁財天様


やっぱり素敵!毘沙門天様


坂をのぼっていくと、願満朝日日蓮堂があります。
日蓮上人の若き32才のお姿、「朝日の祖師」が祀られています。
合わせた手の力強さが印象的です。
裸形着装像のように見えましたが、聞き忘れた・・・。今度うかがってみます。
加藤清正の清正公像もいらっしゃいます。
勝負祈願の信仰でしょうか?
日蓮堂の傍には、薩埵峠(さったとうげ)の戦いに関係した石塔がありました。
浄瑠璃殿
浄瑠璃姫を供養している塔
悲恋のお話から、縁結びのご利益に結びついた由来があります。

浄瑠璃姫伝説
浄瑠璃姫は、尾張の国矢作の長者の娘です。
(日頃から信仰していた薬師浄瑠光如来にお願いして授かった子で有る為浄瑠璃姫と言うそうです。)
美しく育った浄瑠璃姫は、矢作の長者の家に泊まった、義経と恋に落ちます

義経は、鎌倉へ旅立つのですが、一途に恋した浄瑠璃姫は、義経の後を追い、
富士川のあたりまで追いかけたのですが、川の増水でと旅の疲れで、蒲原の地で亡くなったそうです。
本光寺の前身慶徳寺が、蒲原の光蓮寺に、浄瑠璃姫の位牌を引き継ぎ、供養されています。
この悲恋の物語は、後に、浄瑠璃御膳物語として、民衆に受け入れられます。
浄瑠璃伝説は、蒲原の地で亡くなったというお話以外に、川に身を投げたなどというお話もあります。
ザ、乙女心
グッときた!
そういえば伊豆韮山の真珠院でも、頼朝に関する悲恋のお話があった

源兄弟ってモテすぎではなかろうか?

殿には、阿弥陀三尊像のように見える三体の像。近づいてよく拝見すると
中心は、浄瑠璃姫の像です

薄紅をひいたやさしい口元、少女のようでいて意志のあるお顔。やさしい美しい癒されます

浄瑠璃姫像べっぴんさんすぎる。
私が男性だったら恋していると思う。
現在は、縁結びの信仰があり密かに訪れる方がいらっしゃるそうです。
一途な乙女心を思い出したい方も是非~←私の事ですがなにか?

羅漢堂

今にも動き出しそうな十六羅漢像が安置されています。
表情といい、なんとも圧倒される羅漢像
それにしても美しい自然に囲まれたお寺です。
マイナスイオンたっぷり


山を登りきった、最高のロケーションに、日蓮上人像が!

世界を力強い眼差しで見つめているようです。
手にも力がこもっています!
私たちを励ましてくださっているのかな。
着いて来いタイプ

「着いていきます!」と言ってしまいそうになる。
ご住職のお話の中に、本来の仏教は 「宗教」ではなく、「宗道」であるというお話があり
ました。
道とは道徳の道ということであり、宗教という枠にこだわらない生き方を説かれています。
「幸せになる為には、神様や仏様にすがったりするよりも、大自然のルールにふさわしい生き方を心がけ
実践する自分自身をたよりにしたほうが確実である」自灯明、法灯明と言うそうです。
仏様は、願う対象ではなく、成長する私たちを、一緒に励まし、寄り添ってくれる存在なのですね。
ご住職がとても素敵なお人柄であり、「宗道」の生き方のお話が、すんなり私のこころに響きました。
境内の自然とロケーションと仏様も影響しているのでしょう。


こちらの日蓮上人像の清々しい表情が理解できました。
思わず本光寺というストーリーに入り込んでしまっている私に、気付きました。

本光寺のホームページに 詳しい内容が記載されています。
http://yui-honkouji.com/
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