2011年09月26日
楠木家家宝!奇跡の仏様 満蔵寺
JR東海道線藤枝駅より、車で15分ほどの場所に
曹洞宗 暁居山 満蔵寺があります。
こちらのお寺さんには、素晴らしい三仏堂があるということを聞き、お参りにうかがいました。
開創 永禄十二年(一五六九)ご本尊は、伝行基作 地蔵菩薩様です。

立派な本堂です

こちらが、三仏堂

三仏堂には文殊菩薩様、普賢菩薩様、勢至菩薩様がお祀りされています。
文殊菩薩 卯年生れの方の守り本尊
普賢菩薩 辰年生れの方の守り本尊
巳年生れの方の守り本尊
勢至菩薩 午年生れの方の守り本尊
こちらの菩薩様は、なんと楠木家家宝という素晴らしい由来があります。
※楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将であり、ゲリラ戦法などを用いた忍者とも言われている。

由来とはこのようなお話です。
応仁の乱の時代、楠木正成の息子正行が、家宝である仏様が戦火に合うことを恐れて
三尊仏を持ち、焼津に上陸したそうです。
家山に行く途中、満蔵寺の門を叩き、
「京都は戦いが続いており、この二菩薩が兵火にかかるを見るに忍びず背負ってきた、
われら一族の生還は期せられない、家宝の二仏を奉納するので、長く祀ってほしい。」
と念じたそうです。
寺伝によると、この二菩薩は楠正楠、正行父子が奉祀した楠家の三尊仏の二体であったそうです。
そこで住職は由緒ある仏様として別堂を建立し、後に勢至菩薩を合祀して満蔵寺三尊仏とし祀ったとのこと。
この二仏様を、託した、楠木正行の状況や気持ちを考えると、胸がつまる思いがします
戦火をくぐりぬけた、文殊菩薩様と普賢菩薩様のお顔は、やさしい顔のなかに、どこか
厳しい表情を感じます。楠木家の行く末をを案じた表情なのでしょうか?
仏様は、苦しいことがあったとき寄り添ってくださる。
こちらの仏様のお姿こそ、まさにそのお姿なのだと感じました
願い事をして、世の中の平安を祈るお地蔵さんとだるまさん。
かわいらしい表情。

ほ、欲しい。
しかしながら、こちらは、願い事を書いて、格子にくくりつけるものであって持ち帰るものではないらしい

こちらの掲示板に掲載されている言葉が素敵でした

仏様は、なろうとするものではなく、そうあるべきものであるということなのだな
仏女なりの解釈。
どう思われますか?
藤枝市稲川1-3-14
満蔵寺ホームページ http://fujiedajuku.jp/manzoji/
曹洞宗 暁居山 満蔵寺があります。
こちらのお寺さんには、素晴らしい三仏堂があるということを聞き、お参りにうかがいました。
開創 永禄十二年(一五六九)ご本尊は、伝行基作 地蔵菩薩様です。

立派な本堂です


こちらが、三仏堂

三仏堂には文殊菩薩様、普賢菩薩様、勢至菩薩様がお祀りされています。
文殊菩薩 卯年生れの方の守り本尊
普賢菩薩 辰年生れの方の守り本尊
巳年生れの方の守り本尊
勢至菩薩 午年生れの方の守り本尊
こちらの菩薩様は、なんと楠木家家宝という素晴らしい由来があります。
※楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将であり、ゲリラ戦法などを用いた忍者とも言われている。

由来とはこのようなお話です。
応仁の乱の時代、楠木正成の息子正行が、家宝である仏様が戦火に合うことを恐れて
三尊仏を持ち、焼津に上陸したそうです。
家山に行く途中、満蔵寺の門を叩き、
「京都は戦いが続いており、この二菩薩が兵火にかかるを見るに忍びず背負ってきた、
われら一族の生還は期せられない、家宝の二仏を奉納するので、長く祀ってほしい。」
と念じたそうです。
寺伝によると、この二菩薩は楠正楠、正行父子が奉祀した楠家の三尊仏の二体であったそうです。
そこで住職は由緒ある仏様として別堂を建立し、後に勢至菩薩を合祀して満蔵寺三尊仏とし祀ったとのこと。
この二仏様を、託した、楠木正行の状況や気持ちを考えると、胸がつまる思いがします

戦火をくぐりぬけた、文殊菩薩様と普賢菩薩様のお顔は、やさしい顔のなかに、どこか
厳しい表情を感じます。楠木家の行く末をを案じた表情なのでしょうか?
仏様は、苦しいことがあったとき寄り添ってくださる。
こちらの仏様のお姿こそ、まさにそのお姿なのだと感じました

願い事をして、世の中の平安を祈るお地蔵さんとだるまさん。
かわいらしい表情。

ほ、欲しい。
しかしながら、こちらは、願い事を書いて、格子にくくりつけるものであって持ち帰るものではないらしい


こちらの掲示板に掲載されている言葉が素敵でした


仏様は、なろうとするものではなく、そうあるべきものであるということなのだな

仏女なりの解釈。
どう思われますか?
藤枝市稲川1-3-14
満蔵寺ホームページ http://fujiedajuku.jp/manzoji/